ローマ・カトリックは、被造物崇拝であり、キリスト教ではない。
「マリアは、昇天されたときに、この救いの職務を捨ててしまわれたのではなく、数多くのとりなしによってわれわれに永遠の救いという賜物を与え続けてくださる。…それゆえ祝福された処女は、教会において、…助け主として祈願の対象となる。」(第2バチカン教会憲章第62章)
明らかに、マリアを仲介者の位置に高め、崇拝している。
これは、第1テモテ2・5の「というのも、神はおひとりであり、神と人の間の仲介者も人となったキリスト・イエス以外にはおられないからです」と矛盾する。
聖書においてマリアは、人間として描かれており、いかなる箇所においても、人間を超えた存在としては描かれていない。
だから、もしマリアに神性を与えるようなことがあれば、それは、聖書信仰を拒絶し、他の権威を設定することにほかならない。
つまり、ローマ・カトリックは異端なのである。
イエス・キリストの神としてのご威光を照り輝かせないためのサタンの巧妙な罠である。
私は、マリア崇拝は、バビロンのイシュタル崇拝に起源があるのではないかと思う。
ローマ・カトリックをわれわれの同胞、契約の民として見ることは絶対にできない。