キリスト教の本家本元は日本である2


「そのことを示す記事が、記紀に記された、饒速日と瓊瓊杵尊の降臨と、それぞれの子孫である物部氏と秦氏の合体であると。」

このように言うと、秦氏の来日は3世紀のことであり、1世紀に秦氏は来ていなかったのではないか、との指摘があるかもしれない。

中国の史記には、「徐福はこの地に辿り着き、子孫は秦氏を名乗っている」とあり、紀元前から秦氏がいた。

また、エルサレム崩落から逃れたユダヤ人クリスチャンが弓月国(秦氏の故郷)というワンステップを経由せずに直接来ている可能性がある。

初代教会の人々、エルサレム教団の人々が紀元1世紀に来日し、徐福の子孫と同族であることを確認し、自ら秦氏と名乗ったかもしれない。

聖書的に言えば、少なくとも、使徒の誰かが日本に来ていることは確実である。

なぜならば、イエスの福音は「囲いの外にいるイスラエル人(つまり、ディアスポラのユダヤ人)」にも届けられなければならないからである。

紀元70年以前に、使徒もしくはその弟子が来日していたことは確実である。

新約のユダヤ人クリスチャンは、ほとんど南朝出身と思われるので、初代教会の人々が直接日本にやってきたとすれば、南北朝の合体はそこで実現したと言える。

 

 

2015年12月27日



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