自分の心に抵抗しない人の運命
モーセはガド族とルベン族に答えた。「あなたがたの兄弟たちは戦いに行くのに、あなたがたは、ここにとどまろうとするのか。
どうしてあなたがたは、イスラエル人の意気をくじいて、主が彼らに与えた地へ渡らせないようにするのか。
私がカデシュ・バルネアからその地を調べるためにあなたがたの父たちを遣わしたときにも、彼らはこのようにふるまった。
彼らはエシュコルの谷まで上って行き、その地を見て、主が彼らに与えられた地に入って行かないようにイスラエル人の意気をくじいた。
その日、主の怒りが燃え上がり、誓って言われた。
『エジプトから上って来た者たちで二十歳以上の者はだれも、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓った地を見ることはできない。彼らはわたしに従い通さなかった。
ただ、ケナズ人エフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアは別である。彼らは主に従い通したからである。』
主の怒りはイスラエルに向かって燃え上がったのだ。それで主の目の前に悪を行なったその世代の者がみな死に絶えてしまうまで彼らを四十年の間、荒野にさまよわされた。(民数記32・6-13)
考えたいことを考え、思いたいことを思うと、悪霊にやられる。
心配するようなことが起きて、その心のおもむくままに心配すると、いずれ心を操作される。
抵抗しなければならない。
「思いたいことを思ってはならない」。
山の斜面を登っているときに、重力に逆らわない行動を取ると、たとえば、掴んでいる木や岩から手を放すと、自分の体は下に落ちていく。
自分を救うためには、「自然に心が向かうままに心を向かわせてはならない」。
精神がやられる人の特徴は、「心配したいときに心配する。自分はダメだと思いたいときに、ダメだと思う。自分は脅かされていると思いたいときに脅かされていると思う」である。
出エジプトで荒野にいた民は、水がなくなったときに「もうだめだ!おしまいだ!」と叫んだ。
神の御怒りが燃え上がったと記されている。
神がモーセを通じて「ヨルダン川の向こう側の土地を与える」と言われたのに「無理だ」と言って、民の気をくじいた人々は呪われた。
その不信仰のゆえに、民全体が40年間荒野をさまよった。
「現実を見ろ。カナン人はあんなに背が高く、強い。おまえたちが勝てるわけがない」と言った人々の声にしたがった結果が、40年の無益な生活である。
40年は1世代にあたるから、不信仰な世代はまるまる荒野で滅んだということを意味する。
信仰によって自分の考えることをコントロールせずに、「自分が思いたいことを思い、考えたいことを考える」人の人生は、無益である。
「全世界の出て行ってすべての国民を弟子とせよ」との命令に対して「できません」というディスペンセーショナリズムは、それゆえ、「無益な世代の大量生産工場」である。
自分の心に抵抗しない人が、精神疾患で人生を棒に振っても文句は言えない。
2014年8月7日
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