本物のキリスト教に出会いたいなら2


この、「対象よりも自分の願望を優先する姿勢」は、偶像礼拝者のそれである。

偶像を作る人が第一に尊重するのは「礼拝者が何を望んでいるか」である。

だから、アイドルは、できるだけファンの願望に近づけようとする。

偶像礼拝者にとって、本物の神の姿などどうでもいいのである。

自分の好みのものを拝みたいのである。

偶像礼拝者は、神に向かって「あなたはこういう方であってください!そうじゃなければ私はあなたを神と認めません!」という。

つまり、偶像礼拝者は神の上に立つ者であり、つまり、自分を拝んでいるのである。

礼拝には、神礼拝と自己礼拝の2つしかない。

どんなにキリスト教という名前がついていても、聖書と矛盾するような神認識を持っているならば、それは、偶像礼拝である。

「神は地獄を作るようなお方ではない!」とか「神が救いを予定するはずがない!」などという人は、偶像礼拝をしているのである。

聖書に啓示されたありのままの神の姿を知りたくない。

だから、私は、今の福音派やリベラル、バルトなどに、真の信仰を見ることができない。

一種のビジネスである。

教会というビジネス。

教えの内容なんてどうでもいいのである。

神がどのような神かなんてどうでもいいのである。

信徒がお金をもってきてくれて、生活できればいいのである。

そして、そのシステムを破壊する人間は「悪魔」なのである。

だから追い出すべきなのである。

あらゆる汚い手を使ってでも追い出すべきなのである。

こういう信仰とはまったく違う次元で動いているシステムにいても意味はない。

信じる対象よりも、できあがったシステムの維持のほうが大切になっているならば、それは、もはや教会でもないしキリスト教でもない。

所属するだけ無駄、いや、むしろ有害である。

自分も知らずに「システム維持のために人を中傷して追い出す」ような輩に成り下がるおそれがある。

くだらない人生、終いには永遠の火の中に投げ込まれるためにお金を使い、時間を使いたいですか?

 

 

2014年4月6日



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