同性愛賛美は裁きの前兆である


悪霊に取り憑かれると、悪霊は、神が嫌うことをどんどんさせます。そして、最悪の罪を犯させようとします。その最悪の罪の中に同性愛があります。

聖書では「汚れた情欲に投げ捨てられた」と「遺棄」を表す言葉が使われています。

神からまだ見捨てられていない人は、抑制の恵みによって汚れた行為を行わないように歯止めがかけられます。

しかし、頑固を貫いて、悔い改めを徹底的に拒否すると、神から「遺棄」の宣言をされます。

「何度言ってもお前は言うことを聞かない。ならば、私はお前を見捨てる。これまで、最悪の罪を犯さないように歯止めをかけてきたが、やめる。」と宣言され、人がそれを行えば、自分を辱めるような罪を犯すのを許容されます。

同性愛は自分にとって恥辱であり、自分を傷つける行為です。

彼らは、雪だるまが溶けて変形するように、どんどんと醜い姿に変わっていきます。

人間らしさを失い、理性のない動物のように振る舞うようになります。

しかし、これは裁きなので、頑固を止めることができません。

かえってそれを誇るようになります。

神に見捨てられた社会も、彼らを英雄視します。

善人であるかのごとく賞賛し、守ろうとします。

同性愛を賛美し、守ろうとするようになったら、その社会は、裁きの崖っぷちにいるとわかります。

私は、日本が同性愛を賛美するような国になってほしくありません。

神の憐れみを乞うのみです。

 

 

2018年4月13日



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