宗教に着目できなければ、物事の半分も見えていない


「陰謀がない」とか、「世界に首尾一貫した陰謀が働いていることなどない」とか、そういうものを半ば冗談のように扱うのは、本質的に世界を理解していない証拠である。

なぜならば、世界とは宗教を中心に回っているからだ。

人間の最高の関心事は経済でも、政治でも、芸術でもない。

宗教である。

無宗教の人でも、宗教に関わらざるを得ない。

なぜならば、人間は「意味のないことができないから」である。

ソ連の収容所で、過酷な拷問と呼ばれたものに、空のバケツを別のバケツに入れ、それをまたもとに戻すという作業を繰り返させるというものがあったと聞く。

無意味なことを延々と続けるのは苦痛である。

もし神が存在せず、世界が神によって存在させられたのでなければ、人生や宇宙はすべて虚無である。

偶然に生まれたのであれば、意味を探すほうが間違いである。

この世界の究極は無意味である。

だから、あなたの存在も無意味、一生も無意味、つきつめればすべてが無意味である。

偶然が支配する宇宙において、計画を立てることそのものが邪道である。

道徳や規範も逸脱である。

だから、人間が気を正常に保つには、その無神論の前提を否定しなければならない。

このように、人間が無宗教で生きることは不可能であり、誰でも宗教を持っている。

そして自分の存在と世界に意味を与えながら生きている。

われわれが、宗教と直面せざるを得なくなるのは、衣食住が足り、資産が十分にある場合である。

生存そのものに必死にならなければならない段階を超えると、人間は宗教に関心を向ける以外にはない。

ある人は、慈善活動をするだろう。事業を行って社会貢献を目指すだろう。

このようにして自分の人生に意味を与える行動をするようになる。

その逆に、悪魔的な存在に捧げることによって、意味を見出す人もいる。

裕福な人々のこのような組織があって、世界の歴史を支配してきたと考えてもおかしくはない。

人間は、経済や政治を超えた関心を常に持っているので、人間の究極的な陰謀とは、宗教的である。

だから「世界支配をもくろむ悪の存在?漫画じゃあるまいし」と笑えない。

悪魔のために魂を捧げて、世界政府を行い、サタンのために一生をささげた人々もいるのだ。

宗教に着目できなければ、物事の半分も見えていない。

 

 

2013年2月8日



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