1.
前の掲示で、北海道弁を何か直すべきものとして描いてしまったが、私はそもそも方言を尊重し、地方文化を発展させるべきと考えているので、直すべきとは考えていない。
方言を直すべきなのは、アナウンサーなど標準語を話す職業の人だけである。
なぜ地方性を嫌う人々がいるのか。
たとえば、埼玉は「ダサイタマ」と呼ばれることがある。
東京中心主義は、非聖書的である。
聖書は多様性を重視する。
人を住んでいるところや出身地、家柄、人種、民族、学歴…で差別するのは、悪魔の好む所業である。
文明が堕落すると、「地方に散らされる」ことを嫌い、そのためにバベルの塔を築くようになる。
そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」(創世記11・4)
一極集中主義は、バベルの塔の人々の考え方である。
われわれは、地上に散らばって、全地を開拓しなければならない。
地方をバカにし、東京に憧れ、都会での生活を自慢するのは、「地を従えよ」の命令を嫌っているからである。
ある教会成長学のリーダーの牧師が、地方の教会で牧会している牧師に「そんな〇〇くんだりでくすぶっていないで、東京に出てこい」と言った。
教会成長学は、「バベルの塔」の人々(ピーター・ドラッカーやノーマン・ヴィンセント・ピール)によって作られたのだから、このような人がリーダーになるのも当然の結果と言える。
http://www.millnm.net/cgi-bin/page.cgi?url=../qanda4/97GnqOw9pSiFI06163.htm
2.
すべての世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢などは、御父から出たものではなく、この世から出たものだからです。(1ヨハネ2・16)
クリスチャンでも「暮らし向きの自慢」をする人がいる。
私の今の裕福ではない生活を揶揄する人もいる。
彼らは、この御言葉に真っ向から逆らって生きているわけである。
そういう人は、最高権威を聖書に置いていないので、クリスチャンとは言えない。
悔い改めて修正するなら受け入れられるが、頑として意見を変えないなら、クリスチャンとしての交流はできない。
そもそも、金持ちを無条件に称え、貧乏人を無条件にさげすむならば、それは、パリサイ人がよくやっていたことだ。
問題は、どうやって金を稼いだのか、である。
もし悪事を働いて金持ちになったのであれば、その財産にはいかなる意味もない。
自分の創意工夫、誠実、努力、チャンスで築き上げた財産だけが貴い。
わたしは、クリスチャンは金持ちになるべきだと考えるが、そのためには王道を歩めと言う。
正しい努力を行って、神からの祝福として与えられるのを待て。
イルミナティとのつながりによって得られるよこしまなお金に飛びつくな。
3.
しかし私は「不労所得を軽蔑せよ」とは言わない。
なぜならば、聖書では「悪人が積み上げたお金は善人に引き継がれる」とあるから。
善人は子供たちの子供たちに相続を残すが、罪人の富は善人のために積み上げられる。(箴言13・22)
不労所得を悪と見るのは、共産主義者である。
しかし、実際のところ、共産主義は「不労所得を目指す宗教」そのものなのだが。
マルクスに『共産党宣言』を書かせたバルーフ・レヴィは、共産主義の目的を「異邦人の富の奪取」としている。
https://www.youtube.com/watch?v=Qrcjv_GblRg
4.
東京においてもっともバビロン的な場所は、六本木である。
あそこは、イルミナティが意図的に選んだ場所。
66プラザという場所がある。
「六本木の66プラザ」→666
蜘蛛のオブジェがある。
ロンドンにも同じオブジェがあり、その名は「シオニズムの精神」。
六本木ヒルズは、フクロウの形をしている。
フクロウは、イルミナティのシンボル。
高さ238メートル。
2+3+8=13
13という数字は、イルミナティ13血流を象徴する。
地方出身者、貧困者をバカにする精神がどこに由来するのか、これでお分かりだろう。
彼らは、ルシファー側の人々である。