後のことは神がやってくださる


よくまじめ過ぎると病気になるとか言われる。

これは、信仰がないからである。

クリスチャンは、「全部自分が請け負う」ということをしない。

しかし、ノンクリスチャンは、真面目な人は、頼る神がいないので、全部背負ってしまうのである。

つきつめて考えれば考えるほど、それに固執して、重圧に耐えられなくなる。

仕事も全部自分の責任にして自殺する人もいる。

私は、夜寝られないほどの悩み事をかかえたことはない。

なぜか。

自分の努力を十分にしたら神に委ねてやってもらうから。

自分にはできそうにない重圧があったら、自分の側で最善の努力をしたらあとは「ぶん投げる」のである。

「神様、後はやってください」と責任から降りるのである。

そうすれば、病気になるはずがないし、夜寝られないなどということもない。

「ぶん投げる」ことは、義務である。

神は「六日働いてすべての仕事をしなさい」というだけではなく、「七日目に休みなさい」と命令された。

人間は、休まなければ「ならない」。

休まないことは、神の法への違反であり、反逆である。

神に委ねないことは、違反であり、罪である。

だから、自分の仕事をしたら、後は委ねて強制的に休むのである。

2つの極端がある。

1.責任を負いすぎ、自分で全部やろうとすること。

2.無責任で、義務を果たさず、何もしないこと。

どちらの極端も避けなければならない。

われわれには、全知全能の神がおられる。

われわれは、この地上に御国を作らねばならない。

真理は必ず勝ち、正義も必ず勝つ。

それは、人間が全部責任を負って勝つということではなく、自分でできる最善を尽くして、あとは委ねることによってである。

最善を尽くせば、あとは神が全能の力を発揮して、不義の勢力、偽りの勢力は滅びる。

「あなた、われわれのようなちっぽけな者が、中国とかイルミナティとかに勝てると考えるのですか。無理ですよ」と不信仰な人は言うかもしれないが、無視すればいい。

われわれは、自分の力でやろうとしない。

自分でできる最善を尽くせばいいのである。

政治家になるとか、大富豪になるとかしなければ対抗できないわけではない。

自分の身近なことをすればいい。

毎日の義務を果たせばいい。

そして、祈る。

そうすれば、神があとはやってくださり、世界の人口を5億人に減らすなどとんでもないことをたくらむ人間ども、悪魔勢力を倒すことができる。

ダビデは、ゴリアテを倒した。

ダビデ本人に力があっただろうか。

小柄なダビデに勝つ見込みはなかった。

しかし、彼は「平らな石を選んで」「投げつけ」、自分の義務を果たした。

神はその石を利用して、ゴリアテの額に当たるように導かれ、彼を倒した。

われわれがイルミナティに勝つのは、祈るしかない。

財力や政治力で勝てるわけがない。

自分にできるのは祈ることだけだ。

ただひたすらに祈ろう。

そうすれば、後のことは神がやってくださる。

 

 

2014年11月21日



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