神を信じることができないことによって生じる主な不利益:
1.神の法を失うので正しい選択ができない。
2.神の力を信じられないので不安にさいなまれる。
1.神の法は、カーナビである。
自分が行きたい目的地への最短ルートを教えてくれる。
「○○メートル先を左に曲がってください」と。指示に従っていると、目的地に着いている。
自分の前に二股があるときに、カーナビがないと迷う。
神の法というカーナビは、左に進めと言う。
愚か者は、「手っ取り早く欲しいものが手に入る」「損をしたくない」「つまらない」からという理由で右を選択する。
カーナビには「右に行くと行き止まり」と表示されている。
愚か者は、袋小路に入って、Uターンし、二股の場所に戻る。
時間と労力の無駄である。
有名になるために悪魔崇拝を選択したアンジェリーナ・ジョリーは、いずれ袋小路にはまり、にっちもさっちも行かなくなるだろう。
中国を選択した企業も同じ運命をたどるだろう。
なぜ日本は中韓と関わってはならないのか。
中韓人が、神を恐れず、神の法よりも実利のあるほうを選択する傾向があるからである。(もちろん、個人的には善人もいるから「全員が全員そうだ」とは言わない。)
彼らとかかわることによって、自分もそちらの方向に誘導される。
占いは「壊れたカーナビ」であり、嘘を教えて、変なところに連れていく。
中韓の文化は占いの文化である。
そのため、彼らが幸福にいたることはない。
すべて占いや風水などに頼る人は、失敗する。
神の法というカーナビに頼れば「あれ、こんな変なところを通っているぞ」と思っても、いずれそれが正しい道だとわかる。
もっとも効率的に成功に至りたいならば、神の法を選択すべきである。
「盗むな」と言われたら盗まない。「偽証するな」と言われたら偽証しない。「偶像礼拝するな」と言われたら、偶像礼拝しない。「姦淫するな」と言われたら姦淫しない。「他人のものを欲しがるな」と言われたら他人のものを欲しがらない。・・・
一時的に不利益を被るかのように思われるかもしれないが、それが結局正しい方法だったとわかるだろう。
2.
神の力を信じられるようになれば、心配や不安、恐怖、迷いから解放される。
信仰がない人は、社会的・物理的に強い人や組織を恐れる。
世の中で人々がどのように考え、動いているかに、常に影響される。
「世間の目」を恐れる人は、恐怖と心配で貴重な人生のほとんどを浪費し、実質的なことや大切な仕事ができないままに一生を終わる。
他人の価値観で生きる人は、自分の人生を送れない。
神を信じて、人を恐れなくなれば「なんだ、他人の評価なんて幻想だ」とわかるようになる。
人を恐れても、その人が救ってくれるわけではない。
むしろ、自分を奴隷にしようとする。
組織を恐れると、組織は自分を拘束し、思いのままに動かそうとする。
人を恐れなくなるには、荒野の体験が必要である。
イスラエルは、パンも水も肉もない荒野を40年間歩かせられた。
しかし、神は天からマナを降らせ、鳥を送って肉を与え、岩から水を出してくださった。
イスラエルは、神に頼るならば、被造物に頼る必要はないということを学んだ。
私は、四十年の間、あなたがたに荒野を行かせたが、あなたがたが身に着けている着物はすり切れず、その足のくつもすり切れなかった。(申命記29・5)
人がいなくても、神に頼れば、必要なものは与えられるのである。
だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。(マタイ6・33)
3.
サタンは、「神にある自信」を奪おうとする。
教会の牧師すらこの手を使う。
実際「君は、ここを止めて、どこに行くつもりかね。」と言われたことがある。
つまり「○○先生のところを出てきた」という過去を持つ者を、ほかのどの教会も受け入れないぞと。
これは「組織を崇拝せよ」と指示するカルト教である。ローマ・カトリックとなんら変わらない。
こんな偶像礼拝の組織は、できるだけ早いうちに出るべきである。
4.
神を信じることができない人の人生は、人を恐れ、被造物を恐れ、大切なものを捨てて、むなしいものを選択する、無駄足ばかり踏む、空虚な一生を送るしかない。
一度限りの人生である。
有益なことのみに集中する「悔いのない生き方」をしよう。