日本人のクリスチャンにとって日猶同祖論の理解はMUSTである


日猶同祖論などで行われる推測を「トンデモ」とか「空想」と呼ぶ人々は信頼に値しない。

なぜならば、彼らは証拠が見つかると、掌を返して、こちら側に乗るからだ。

それまでの調査や考察の努力をあざ笑っておきながら、証拠が出て学説として確立すると、それまでの嘲笑していた事実を忘れて、あたかも自分もずっと前からそう思っていたみたいなことを言い出す。

汚い連中である。

日猶同祖論に関しては、われわれはパイオニアだった。

だから、トンデモ呼ばわりされてきた。

今でも決定的証拠は出ていないが、状況証拠はどんどん出ている。

TVでも何度か取り上げられ、テーマとしてメジャーになった。

それに伴い、これまでトンデモ扱いしていた連中も話題に乗るようになっている。

彼らを拒むつもりはまったくないが、しかし、もしまともにわれわれの調査の結果を利用したいなら、「勝馬に乗る」姿勢を改めてもらいたい。

日本の文化や国柄の成立がクリスチャンとかかわっていると分かれば、日本のキリスト教界は変わる。

天皇に対する見方は一変するだろう。

そして、日本人に対するまともな伝道はそこから始まる。

反天皇の姿勢のままで日本人に伝道することは不可能だ。

それは、民族国家の破壊につながる。

クリスチャンになれば、反日になるというような伝道がどうして正しいと言えるのか。

土肥議員の事件からわかるように、朝鮮ひいきとクリスチャンの従来の対日観は調和してきた。

現在の福音派キリスト教では、クリスチャンになること、イコール、親韓国、すなわち、反日になることを意味した。

従軍慰安婦問題、日韓併合反省の間違った歴史観に染まることを意味した。

これで、まともな伝道ができるわけがない。

伝道とは、真理に対して目が覚めることを意味する。

逆に盲目になるような伝道がいいはずがないではないか。

われわれ日本人のクリスチャンにとって、日猶同祖論の理解はMUSTである。

秦氏を理解することは、必須の義務である。

これなしに、日本人に伝道することは絶対にできない。

 

 

2012年11月18日



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