日本の基本体制とは表面的には多神教だが裏に回ると一神教である


(1)
浦島太郎は、亀を助けた。

亀とは、六芒星を示す。つまり、イスラエル。

浦島太郎は、イスラエルを助けた物部氏を象徴する。

物部氏は、原日本を作った。

その原日本を作った物部氏である(と思われる)応神天皇が、新羅の妨害で立ち往生していた秦氏の来日を援軍を送って助けた。

秦氏は、ユダヤ系クリスチャン。

10万人もの大群であった。いわば民族大移動。

その後、秦氏が日本の中枢になり、物部氏は天皇の妃を出す。

だから、秦と物部の結婚が天皇家を形成していた。

秦と物部の結婚が大化の改新以前の日本の中枢だったのではないか。

(2)
飛鳥氏によると、物部神道は、唯一神信仰であった。


物部神道の奥義「多次元同時存在の法則」を適用していくと、実に多くの神々が同一神であることが見えてくる。八百万の神々すべてが同一神というわけではないが、少なくとも古代にまで遡る神々、とくに物部氏が祀ってきた神々は究極的にはひとりの神に収斂されるといっても過言ではない。

言葉を換えると、今日の神道が八百万の神々を祀る多神教であるのに対して、古代における 物部神道は唯一絶対神を崇拝する唯一神教なのである。そのことは籠神社の先代宮司、海部穀定氏が大著『元初の最高神と大和朝廷の元始』(桜風社刊)のなかで、はっきりと述べている。

元初の神の信仰は、明らかに、記紀編纂時代、和銅養老年中以前に、我国に存在していたものである。

『失われた徐福のユダヤ人「物部氏」の謎』(学研パブリッシング、初版、p211)

この元初の神とは、復活した物部神道すなわち伊勢神道では、天之御中主神(=国常立神=豊受大神)である。

この神は、最初にひとりでに出現した根源神にして絶対神。

大化の改新以降、藤原氏が物部神道の痕跡を消してしまった。

秦氏は裏方に回り、藤原氏の秩序を陰で支えることになる。

それゆえ、今の神道の体制は、多神教ということになっている。

しかし、原日本は、一神教だった。

秦氏と物部氏の体制とは、ユダヤ一神教の体制であった。

表面的には多神教、しかし、裏に回ると一神教、これが日本の今に至る基本構造なのである。

だから、「後ろの正面」を見なければいけないのである。

 

 

2012年11月21日



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