山は、神と人間の契約関係を象徴している。
山頂に神がおられる。(*)
山の中腹に人間がいる。
山頂に降った雨や雪は、中腹に流れ、川になって裾野に広がり、平野を潤す。
神からの祝福が契約の民を通して世界に広がることを象徴している。
だから、エデンの園は中腹にあったのだ。
一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの源となっていた。(創世記2・10)
エデン→園→世界
神社は中腹に建てられることが多い。
そして、そこに泉がわき出ていたり、そばに川が流れているのをよくみかける。
真名井神社もそうだ。
諏訪大社の上社も中腹にあり水が脇を流れている。
これは聖書の契約構造を理解していた人間が作ったものとしか思えない。
なぜ箱舟はアララテ山に着いたのか。
もちろん、洪水の後、水が引いて最初に現れるのは山だから。
ただし、聖書はそれ以上のことを示している。
つまり、第2のエデンの園である。
再出発を暗示している。
人をもう一度中腹に立たせ、世界を祝福するために活動せよと神が命令されたのだ。
洪水前、暴虐が地に満ちたとある。
人間は神の祝福を取り次ぐ存在ではなくなっていた。
だから、契約的刑罰を下して、違反者を地上から一掃し、義人ノアとその家族だけを生かし、再び山の中腹に置いて「地を従えよ」と命令された。
地上を支配できるのは、神の御心に従う義人だけである。
北朝鮮のキム王朝のように邪悪な人間が山の中腹に立つと、そこを経由して流れる水は毒である。
毒が世界に流れて、多くの人々が不幸になる。
悪人は支配者になってはならないのである。
ここ数年間、日本にも邪悪な支配者が立った。
民主党政権のもとで日本はかなり破壊された。
経済は停滞し、国防はがたがたになり、日本の国有財産が海外に流出した。
民主党の山は毒を流す山であった。
だから、われわれは「山よ、動いて海に入れ」と祈った。
世界を幸せにし、潤わせないような為政者は呪われるべきだ。
われわれは、邪悪な人間がトップに立たないように、呪いをかけて祈ることができる。
イエスは答えて言われた。「まことに、あなたがたに告げます。もし、あなたがたが、信仰を持ち、疑うことがなければ、いちじくの木になされたようなことができるだけでなく、たとい、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言っても、そのとおりになります。(マタイ21・21)
世界を支配する邪悪な山の滅亡を祈ろう。
(*)
登山をしたことがある人は、山頂に何か神々しいものがあることを知っている。
修養会などを山で開くと聖霊の働き方が違うと感じる。