イエス以外には救いに至る道は存在しない2
もともとエデンの園の門には、ケルビムも輪を描いて回る炎の剣は置かれていなかった。
しかし、人間が罪を犯してから、自力で生命の樹に達することができなくなった。
それは、ケルビムと回る炎の剣を経由するしかなくなった。
これは、業の契約から恵みの契約に移行したことを示す。
つまり、アダムが自力で達成する道は閉ざされ、イエス・キリストの犠牲による恵みによって達成できる道が開かれたということである。
罪を犯す前に、アダムは、門を自由に出入りできただろう。
しかし、罪を犯してからは、(おそらく)門の上でくるくる回る炎の剣の下を通らねばならなくなった。
この形式は、今日に至るまで変わらない。
われわれは、イエスを経由する以外に永遠の命に達する道がなくなった。
クリスマスツリーは、生命の樹を象徴し、そこに吊るされる果物は生命の樹の実を象徴する。
クリスマスは、キリストを通じて園の中央にあった生命の樹から取って食べることができるようになったことのお祝いである。
であるから、メリー・クリスマスと言わずに、ハッピー・ホリデーズというように変わってきた西洋世界は、徐々に救いを失っているといえる。
フリーメイソンがイエス・キリスト以外の道を提示しているからである。
フリーメイソンの衣装では、エプロンを着用する。
このエプロンは、アダムとエバが神から罪を隠すために作ったイチジクの葉を象徴する。
フリーメイソンは中立の教えではなく、自力救済、行為義認の教えであり、サタン教である。
ウァームブランド牧師の弟はフリーメイソン33階級であり、ユダヤロッジのトップになったが、彼曰く「フリーメイソンはユダヤ人が作った」。
つまり、イエスをメシアと認めず、十字架につけたユダヤ人の末裔である現代のユダヤ人がフリーメイソンを作ったのだ。
フリーメイソンが様々な形でこの「イエス・キリストを経由しない救いの道」を伝えている。
ものみの塔、統一協会、クリスチャン・サイエンスなどの異端は、その創設者を調べるならば、フリーメイソン・イルミナティとつながっていることがわかる。
そして、ディスペンセーショナリズムも、フリーメイソン・イルミナティとつながっている。
ディスペンセーショナリズムの中興の祖サイラス・I・スコフィールドは、イルミナティの番頭ヤコブ・シフからの資金でスコフィールドバイブルを作った。
ウェストコットとホートは、いずれもロスチャイルドの番頭であるバルフォアとつながっており、スコフィールドともつながっていた。
それゆえ、ウェストコットとホートの翻訳聖書には、フリーメイソンの影響がある。
ウェストコットとホートが復活したアレキサンドリア型写本に基づく翻訳聖書をこれまたフリーメイソンであるロックマンが、世界中にばらまいた。
それによって、形成されたのが、今日のキリスト教である。
つまり、イエス・キリストを経由しない救いが、キリスト教を支配している。
実質、今のキリスト教はフリーメイソン・イルミナティを通じて異教化した。
スコフィールドの影響を受けた、ビリー・グラハム、パット・ロバートソンがフリーメイソンと、ティム・ラヘイ、ハル・リンゼイらが統一協会と関係を持っているとしても何も不思議ではない。
これらの現代のキリスト教によって苦汁をなめさせられた人がいたら、祝福されていると思うべきだ。
破門されたなどと考えてはならない。
滅びへの道から脱出したからだ。
われわれは苦しみを経ない限り、古巣と決別できない。
燃え盛る家から救われるために、彼らはわれわれを窓から蹴落としてくれたのだ。
今後、同じように滅びから救われてわれわれのほうにやってくる人が増えることを期待する。
2015年1月9日
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