霊に対抗するには


1.

聖書は絶対の権威であると信じる以外に、霊に対抗することはできません。

自分の判断で問題を解決しようとすると、隙ができますので、悪霊に入られます。

鬱の人は、サタンの攻撃に対する無防備が原因だと思います。

精神や心の健康は、肉体の健康と同じように、ばい菌を入れないことです。

ばい菌が傷口から入ると、体内で戦うシステムが備わっています。

「異物混入」のシグナルが発せられて、攻撃が始まります。

精神や心も、心の傷口からばい菌が入って、致命的な状態に発展することがあります。

敵がうようよいる日常生活を生きている以上、傷がつくのは避けられません。

その際に、大切なのは、傷口からばい菌が侵入しないように消毒したり、抗生物質を飲んだりすることです。

応急処置を誤ると、重篤な状態に陥ることがあります。

悪霊が入ったら、聖書による信仰によって祈り、悪霊を縛って、追い出すことです。

祈りは、消毒剤なのですが、困ったことに信仰がなくなると、効力が減退します。

「勝利する!」と固く信じるならば、強力な消毒剤になりますが、信仰がないと、ただの水になります。

2.


「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4・6-7)

「心と思い」が「キリスト・イエスにあって守」られる条件:

1.思い煩わない
2.感謝をする
3.祈りと願い
4.願い事を神に知っていただく

1.思い煩わないと心に決めることです。思い煩うことに慣れていると、脳の思考回路が悲観的になっているので、なかなか切り替えができません。何度も格闘して「思い煩わないぞ」と決め、心配するとすぐに悔い改めをする、この繰り返しです。

2.自分が恵まれてきたことを感謝する。感謝できないことを思い出しがちなので、感謝できることを数えます。自分に起こる不幸すらも「自分の利益のために起きた」と感謝します。

3.感謝の心で願い事をし、祈ります。

4.「願い事を神に知っていただ」きます。神は祈る前から願いを知っておられるのですが、なぜあえて祈り、知っていただくようにするかというと、神は私たちにご自身のほうに顔を向けることを望んでおられるからです。神は、「黙っていても願いが叶う」という方法ではなく、へりくだって祈り求める子供及びしもべの姿勢を期待し、それに応える父親及び主人の関係を確立しようとされています。

この神との関係が失われると、神とのパイプが細くなるか、中にゴミが詰まって、意思疎通や力の伝達が弱くなります。

「願い事を神に知っていただ」かない人間と神の関係は、水をまんまんとたたえる湖が近くにある渇水の村のようなものです。

水源が近くにあるにもかかわらず、そことの間のパイプを普段使っていないので、中に泥が入っており、チョロチョロとしか流れません。

「願い事を神に知っていただ」くために、神に顔を向けて祈ると、パイプに水が通り、水がどっと出てきます。

 

 

2016年4月23日



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