フリーメイソンのエプロンが示す勝手な礼拝


フリーメイソンの正装にエプロンが含まれている。

フリーメイソンの正装をしたワシントンの肖像画にエプロンが見える。
http://www.wisdomportal.com/Dates/Washington(576x572).jpg

このエプロンは、実は、アダムとエバが、裸の恥を隠すためにつづり合わせた「いちじくの葉」を示す。

アダムとエバは、罪を犯す前には裸を恥ずかしいと思わなかった。

しかし、罪を犯した後に恥の感覚が生まれた。

どうしてだろうか。

本来裸の状態は神の創造のままの状態だから、恥ずべきものではないはずだ。

しかし、神の創造時の状態が恥ずかしいということは、不調和が生まれたことを示す。

それまで創造世界に調和していた彼らが、不調和の状態に落ちた。

罪が原因だった。

罪を犯したので、自然の状態が恥じるべき状態になった。

これでお分かりだろうか。

われわれにとって裸の状態は異常な状態である。

だから、われわれは衣服を着るべきである。

ヌーディストクラブは、裸の状態が自然の状態だと言うが、間違いだ。

罪に落ちてからは、裸の状態は欠陥状態である。

神から与えられる償いの衣が必要な状態である。

われわれは、この償いの衣を着てはじめて正常になる。

神はアダムとエバに動物の毛衣を与えてくださった。

つまり、動物を殺して、その犠牲によってはじめて彼らは正常になった。

これはキリストを象徴している。

人間は、キリストの犠牲という衣を着てはじめて正常になる。

この神が与えてくださった毛衣に対して、アダムとエバが用意したいちじくの葉は、「正常な状態に至るための人為的方法」を象徴している。

人間が自分の知恵によって救われようとするすべての宗教の象徴。

仏教であれ、イスラム教であれ、聖書的キリスト教以外のあらゆる宗教は、キリストという犠牲の衣ではなく、人為的ないちじくの葉を選択する。

この方法は、神の御前に不十分である。

このようなものでは、裸の欠陥を覆うことはできない。

神が用意してくださった動物の毛衣以外には、われわれを正常にしてくれるものはないのである。

だから、聖書的キリスト教、つまり、イエス・キリストの十字架による犠牲による救い以外は、すべて無駄な試みである。

フリーメイソンも、同じように無駄な試みである。

いちじくの葉を象徴するエプロンをつけるということは、人為的な救いを選択していることを示すので、反キリストである。

これは、モロク礼拝にもつながる。

モロク礼拝とは、神に受け入れられるために、人間の子供をいけにえに火に捧げる儀式をする。

これをアメリカ・カリフォルニア州にあるボヘミアン・グローブにおいて、世界の指導者たちが行っている。

フリーメイソン、ボヘミアン・クラブ、イルミナティ、みんな、聖書的方法を捨てて、勝手に作り出した礼拝をする輩だ。

彼らは実際には、悪魔に従っている。

われわれは、彼らに勝つことができる。

なぜならば、われわれが正式な衣服を着ている、神に受け入れられた人々であるから。

彼らは邪道。われわれは王道。

王道が必ず勝つ。

 

 

2012年10月29日



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