佐伯好郎と空海とキリスト教
空海は中国の景教の寺で洗礼(灌頂かんじょう)を受けており、自らも天皇に洗礼を授けたそうです。
ですから、空海を通じて仏教はかなりキリスト教化されているのではないかと思います。
さて、佐伯と言えば、佐伯好郎博士という学者がいます。
博士は、秦氏が景教であったと唱え有名になりました。
中国キリスト教史の研究者で、ネストリウスキリスト教(景教)の東洋伝播に関する論文を書き、日猶同祖論においては記憶から欠くことのできない存在です。
生家は厳島神社神主職を務めた佐伯氏の流れをくむそうです。
広島の佐伯郡の名前の由来は厳島神社の神主家の名前なので、広島の佐伯氏と厳島神社と佐伯という地名は密接に関係しています。
空海は、宝亀5年(774年)、讃岐国多度郡屏風浦(現:香川県善通寺市)で生まれ、父は郡司・佐伯直田公であったので、佐伯氏です。
そして、広島と香川は瀬戸内海をはさんで向かい合っているので、佐伯好郎と空海は同族であった可能性があります。
空海が開いた真言宗の聖地高野山に、「大秦景教流行中国碑」のレプリカがあるのは、空海と景教の因縁のようなものを感じます。
さて、大分県佐伯市は、古代において豊国と呼ばれ、秦王国と呼ばれた先進地域でした。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~monadon/books120.htm
そして佐伯氏は、太古の日本に於いてはこの豊国にいたそうです。
http://ameblo.jp/hisaakira/entry-11423459474.html
佐伯好郎も空海も秦氏であり、古代からのクリスチャンの家系であったと。
佐伯好郎が景教の研究をしたのも、空海が灌頂をし、また、高野山に景教碑文があるのも、すべて時空を超えた神の導きであると思います。
2013年2月19日
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