神が望んでおられるのは「神の国」だけである


「日本人がキリスト教を受け入れないのは、○○が原因だ」という発言をよく耳にする。

日本人がキリスト教を受け入れない理由は「選ばれている人が少ないから」である。

神が予定された人が多ければ、いずれ多数の日本人がクリスチャンになるだろう。

日本人がクリスチャンになるかどうかは、神の側の問題であって、人間の側の問題ではない。

「なぜ日本にはクリスチャンが少ないのか」という問いには「人間が神を選んでやっている」という意識が見え隠れする。

まったく逆である。

「神が人間を選ばれる」のである。

教会がいくら感動するメッセージを流し、終末の危機を煽り、「あなたは愛されるために生まれてきた」というような追従を行っても、予定されていない人は、福音に反応しない。

人間の技術によって、反応して教会にやってくる人の数が変わるならば、彼らは聖霊によって生まれ変わっていないので、いずれ信仰を捨てるだろう。

福音は鍵のようなものである。

その鍵に合った錠前を持っている人だけが反応する。

われわれの務めは「錠前に合わせて鍵を作り替えること」ではない。

鍵は、神の御言葉であり、永遠不変である。

不変なものを「信じやすいように変える」ならば、その変形鍵に合った変形錠前を持つ人がやってくる。

そういう人が教会に増えて、その中から牧師や神学者すら出てくる。

彼らが独自に教団を形成すると、変形錠前を持つ人々の集団になる。

聖書的キリスト教を受け入れることのできる本物の錠前を持つ人々は、そういう集団から追い出される。

われわれは、神によって養われているので、そのような集団から追い出されても痛くもかゆくもない。

「ここを出て、あなたはどうやって生きていくのですか?」と脅かされるかもしれないが「神が必要なものを与えてくださるので、心配はありません」と答える。

われわれは、人間にまったく信頼していない。

人間は頼るべき対象ではない。

頼るときに、その頼った人にサタンが入る。

なぜならば、われわれを操作したいからだ。

その頼った人の声や顔つきが変わる。

霊は瞬間に入る。目が一瞬で変化する。

悪霊は「こいつを依存させられれば、こっちのものだ」と考えている。

憑依した人間を通じて、われわれがやろうとしている神の国建設を思いとどまるように働きかける。

霊の憑依を感じたら、すぱっと依存関係を切ることである。

自分が牧師などの場合、信徒が上から目線で「指導」してきたら、すぱっと切るべきである。

こちらを動かそうとする霊に入られていることが多いからだ。

教えのために召された人間が教えについて妥協したら「人生おしまい」である。

基本、牧会を任された教会で、自分よりも権威を持というとする指導者が出てきたら、一緒にはやれないと考えるべきである。

「お互いに自分の道を進みましょう」と言って穏便に分かれるべきだ。

もちろん、相手が異端の考えを持っている場合には、除名にしないとまずい。

妥協に次ぐ妥協を重ねた結果が、今日の「廃墟」である。

教えに関しては「聖書を最高権威とする」という原則を堅持できない人間とは、一刻も早く分かれるべきである。

「そんなことをしたら、いつまでたっても教勢が伸びない」と?

聖書信仰でない教会が教勢を伸ばしても意味はない。

神が望んでおられるのは「神の国」だけである。

「人間王国」がどれだけ大きくなっても、神の目から見れば、一文の価値もない。

 

 

2017年10月9日



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