ウェストコットとホートのオカルト関係3
ヘレナ・ブラヴァツキー(1831〜1891年)は、19世紀のイギリス・オカルト運動において重要な人物である。数人のイギリスの降霊術者が、フェントン・ジョン・アンソニー・ホートとブルック・フォス・ウェストコットが参加していたオカルト・リバイバルにかかわっていた。ウェストコットとホートは、イギリスの19世紀の幽霊協会と心霊研究会において活動した。
彼らは、超常現象に関心を持っていた。これらの2人のイギリス人神学者たちは、多くの節の言い回しにおいて、1611年キング・ジェームズ訳が使用したTextus Receptusと違いがあるギリシャ語テキストを制作した。最近のほとんどすべての新約聖書の翻訳は、1881年のウェストコットとホートのギリシャ語テキストに基づいており、Textus Receptusとは無縁である。
ウェストコットとホートの忠実な追従者たちは、この2人の神学者たちが19世紀のイギリスのオカルト・リバイバルと関係があったことを否定するだろう。
『心霊研究の創始者たち』(The Founders of Psychical Research, NY:Schocken Books, 1968, p. 66)において、アラン・ゴールドは、「ケンブリッジ大学教授フェントン・ジョン・アントニー・ホートと、英国教会司祭ブルック・フォス・ウェストコット、そして、その後カンタベリー大司教となったエドワード・ホワイト・ベンソンが、1851年にケンブリッジの幽霊協会を創設した」と述べた。
ウェストコットの息子アーサー・ウェストコットは、『ブルック・フォス・ウェストコットの生涯と手紙』(Life and Letters of Brooke Foss Westcott, New York Macmillan and Co., 1896, Vol. I, p. 118, 119)において次のように述べた。「父の熱意あふれる献身は、自著である『幽霊回覧(Ghostly Circular)』において確認できる」。「『超自然』とあいまいな呼称がついた現象の性質に対する真剣かつ熱心な研究への関心と重視は、ほとんど疑いようがない」。
アーサー・ウェストコットによれば(118ページ)、ブルック・F・ウェストコットは「幽霊回覧」において次のように述べた。「多くの人は、すべてのそのような見たところ神秘的な出来事がまったく自然の原因によるか、もしくは、精神または感覚の眩惑によるか、さもなければ、故意の詐欺によると信じている。しかし、目に見えない世界に属する存在が自らを超常的な方法で現わしているのだと考える人も多い。後者の考えが確認されるべきであるならば、霊の世界に関する人間の知識がこれまでに達した限界をある程度正確に確認できるかもしれない」。
聖書では、少なくとも17節において霊を信用するなと警告されている。他の箇所では、魔法使い、易者、占星術師、または占い師に相談することが禁止されている。ウェストコットとホートの多くの追従者たちは、2人がオカルト活動を行って聖書法を破っていたという事実を顧慮しようとしない。
エゼキエル13章22節は、ウェストコットとホートの支持者は「悪者の手を強くし、邪悪な道から立ち返ることのないように」働いていると解釈できる。ウェストコットとホートの罠にはまり、2人の問題にあえて見て見ぬふりをする人も中にはいるだろう。
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オカルトを研究する過程で、英国国教会の神学校たちや他のイギリスのエリートクラスのメンバーたちは、オカルトを受け入れやすいものに変えた。これと同じ過程が、70年代と80年代に起きたと思われる。当時、アメリカの心理学者やコミュニケーション学教授たちは、コア・ポルノグラフィーについて研究していた。それにより、ポルノが受け入れやすいものに変わった。
http://bibleforums.org/showthread.php/231500-The-Occult-Connections-of-Westcott-and-Hort
2013年8月9日
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