御国に集中する力


私は、サークル活動で熱を入れて取り組んだことがなかった。

どのクラブに入っても興味がわかなかった。

大学でもクリスチャンのサークル(聖書研究会)に入ったが、最後のほうを除いて熱心ではなかった。

われわれのころは、就職するにあたって、面接のときに学校時代に何をやったかを聞かれた。

自分にそれほど熱心に取り組んだものがなかったので、引け目を感じていた。

今から考えると、本当にばかばかしいのだが、こういう点で自信を失っていた。

ちなみに、不思議なことだが、熱が入りそうになると、全部ストップされた。

ギターを一生懸命努力してマスターしようとした。

ある時、自分がかなり上達することが分かった。

「このままこの方法でやれば、プロフェッショナル級になれるな」と思った。

しかし、そこでやめた。

勉強も、以前紹介したように、必ず90点以上を取ることができる方法を編み出した。そして実際にそのとおりになった。

しかし、勉強はそこで終わり、社会人になった。

結局、これまでの人生で、今やっている活動以外で熱心に最後までやったと思ったものはない。

私は、神の働きをする人は、世俗に関してはこういう経験をするのではないかと思う。

しかし、こういう「半端者」の意識が自分を苦しめ、サタンにつけいれられる隙を作った。

ポスト・ミレになるまで、自分のマイナスな部分だけ見て、人と比較して落ち込んでいた。

こういう心の在り方は、ひとえに「サタンの策略を知らない」から起きている。

サタンは、われわれを神の国のために働かせたくないのである。

そこで、自分に何か欠点があると、それについてじくじく考え、反省させるようにする。

溺れて死にそうなときに、投げられた救命具のデザインや色を気にする人はいない。

われわれの前には、無数のきわめて重要な仕事がある。

それにもかかわらず、われわれは自分の小さな欠点を見つめて落ち込んでいる。

こういったのは、「操作」によって起きている。

われわれは、長い間、その操作に慣れてしまっている。

なぜならば、問題の原因が、霊にあると知らないからだ。

何か精神医学的な問題だろうと思わされてきた。

違う。

周囲の様々なものに気を取られるのも、幻想や幻聴、人の評価、周りの目、世間の価値観に動かされるのも、全部操作されてきたからだ。

完全に聖められることは難しいが、われわれは、このからくりを知って、できるだけ洗脳を解除すべきだ。

なぜクリスチャンは、われわれの活動を見ても、無視するか、場合によっては激しく反対するのか。

騙されているのである。

悪魔は、この地上を地獄に変えるという計画を妨害されたくない。

だから、聖書の中心的なメッセージを見えなくしている。

教会成長だとか、弟子訓練だとか、卒倒だとか、神癒だとか。

全部「周辺的」なことだ。

聖書の中心的な教えは、地上における神の国建設である。

世界のエデンの園化である。

これを行わせないために、今の教会の指導者には教会の礼拝出席人数を増やすとか、教会堂を増築するだとか、いろんな些末な問題に忙しくさせている。

実質ディスペンセーショナリズムなので、教会がどんなに大きくなろうが、サタンの計画にとって何も影響がない。

良心的なクリスチャンに対しては、過去の罪、今の自分の能力不足、人の評価、人間関係、幻想、幻視、世間の評判、仕事や家庭の問題、借金の問題など様々なことで頭がいっぱいになるように仕向けている。

サタンは、われわれの一生を心配事で終わるように導いている。

神の国建設に取り掛からないように誘導している。

患わされている問題がくだらないものであればあるほど、サタンは喜んでいる。

たとえば、幽霊に苦しむとか。

UFOとか。

サタンは、「オーラの泉」みたいな番組をたくさんTVで流して、前世がどうしたとか、背後霊がどうしたとかに気を散らされるように導いている。

集中力である。

われわれに必要なのは、集中する力。

自分の弱点や欠点、過去の罪、幻想などに気を散らされないためには、何度も何度も戦うことである。

気を散らすような問題がでてきたら、「うるさい、黙れ。イエス・キリストの御名によって、消え失せろ」と一喝する。

こういう戦いを積んで、集中力が高くなれば、われわれは、無益な活動を減らして、有意義な人生を送ることができる。

実質のあるものとないものの見分けができるようになり、実質のあるものを「常に」選択できるようになれば、信仰において大いに成長したと言える。

 

 

2014年7月22日



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