受験に出ないことを教える予備校のようなものになった今のキリスト教
学生時代、どのテストでも90点以上取る技術を開発した。
その方法は、
1.予習をする。教科書にあるすべての問題をとく。
2.授業中は一言も聞き逃すまいと心に決めて意識を集中する。
3.復習する。その際に、授業で教師が述べたすべての要点をカード化し、自分で問題集を作り、100点取れるまで繰り返す。
4.その学習項目に沿った市販の問題集の問題をとき、応用力をつける。間違った部分をカード化する。
5.試験前にカードをもう一度チェックする。
これで、だいたいの試験で90点以上とれる。
高校時代3年のときにこの勉強法に気付いた。
しかし、ロックギターとかいろんなことに気が散って、本当に大学に興味を持ったのが、卒業後だったので、結局受験に間に合わなかった。
それでも大学に入ってからこの方法を適用するとやはり90点以上とれると確認した。
高校時代3年間これでやっていればと悔やんでいる。
受験では、無限の範囲の知識を求められない。
与えられた範囲の中で「教える側の流儀に合わせた答え方を習熟する」ことが要求される。
これは、大学受験だけではなく、自動車免許でも、あらゆる資格試験でも同じ。
いくら知識があって、応用力があっても、出題者側の意図、つまり、その試験の「流儀」をマスターしていなければ点はとれない。
だから過去問を解かないとだめ。
たとえば、relevant(「関係のある」とか「今日的意義がある」という意味)という単語は英文を生で読む人ならば絶対にマスターしなければならない言葉。
これは大学入試では必要ない。(私の時代はそうだった。今は知らない。)
出題者はそんな単語の知識を求めていない。
(ちなみに、予備校で10年間英語を教えたが、大学入試には、明確に「出る部分」がある。
だからある程度教えていると、仕事がつまらなくなる。
毎年毎年同じことを教えるから。
翻訳の仕事が面白いのは、いろんな業種の知識に出会えるから。
下水道の翻訳の仕事をしたことがある。
下水をどうやって処理するか学ぶことができてためになった。)
聖書についても入試や資格試験と同じで、要点がある。
しかし、この要点について教えてくれる場所がない。神学校でも教えてくれない。
なぜならば、サタンが人類を惑わせて、神様の「入試に出る部分」をわからなくしてきたから。
神様が聖書を通じてわれわれに教えたいこと、肝心要は、「地を従えよ」ということ。そして「それはキリストにおいて法的に成就したので、人間は、キリストの権威のもとで実際に地を従える働きができる」ということ。
しかし、神学校でもそんなことは教えてくれない。
「天国に行きましょう。知人や友人を招いて一緒に行きましょう」しか教えてくれない。
「地上はサタンの支配下にあるので、変えられません。あきらめましょう」とすら教える。
「律法の時代はキリストにおいて終わったので、今は守る必要はありません」とすら教える。
めちゃくちゃになっている。
イルミナティのスコフィールドという詐欺師が広めたこの教えで、ほとんどすべてのキリスト教は、「受験に出ないことを教える予備校」のようなものになった。
2014年2月11日
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