フルプレテリズムの問題点6
イザヤ書25:6〜12の箇所では、紀元70年に起こる空中の大宴会の際に、永久に死が滅ぼされたと書いてあります。これは言うまでもなく、空中に引き上げられた聖徒たちに関して言われたものです。黙示録21章で言われていることも同じです。ここで「死がない」と書かれているのは、天の都に引き上げられた聖徒たちに関してであって、地にいる人々の状態を述べたものではありません。紀元70年に成就したイザヤ書25:6〜12の箇所と黙示録21章の箇所が、互いに調和し対応し合っていることに気付かれないでしょうか。両方とも、紀元70年のことを言っているのですから、内容といい言葉といい似通っているのは当然のことです。誰でも黙示録20:7以降の箇所を見れば、紀元70年に成就した旧約聖書の諸々の預言と調和し対応し合っている箇所が非常に多くあることに気付くはずです。まさか、互いに似通っている黙示録20:7以降にある聖句と既に成就している旧約聖書にある多くの預言が全く無関係だなどとは先生も言われないでしょう。
「万軍の主はこの山の上で万民のために、あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催される。
この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、
永久に死を滅ぼされる。神である主はすべての顔から涙をぬぐい、ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。主が語られたのだ。
その日、人は言う。『見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。』
主の御手がこの山にとどまるとき、わらが肥だめの水の中で踏みつけられるように、モアブはその所で踏みつけられる。
泳ぐ者が泳ごうとして手を伸ばすように、モアブはその中で手を伸ばすが、その手を伸ばしてみるごとに、主はその高ぶりを低くされる。
主はあなたの城壁のそそり立つ要塞を引き倒して、低くし、地に投げつけて、ちりにされる。」(イザヤ25・6-12)
「紀元70年に起こる空中の大宴会の際に、永久に死が滅ぼされたと書いてあります」
どこに書いてあるのでしょうか。
「この山の上で」とあるだけで「空中で」と書いてありません。
この箇所から「紀元70年限定の預言だ」と読み取ることはできません。
「万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き」は、福音伝道を通じて全世界に広がる聖霊による霊的理解と救いを表現しているものであって、紀元70年の空中宴会を指していると断定できません。
2018年4月24日
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