異論がある人は聖書から具体的に論証してください
よく「先生はそう考えるかもしれないけど、自分はそう思わない」という人がいる。
私の意見に合わせろなど、一言も言ったことはないし、また言うつもりもない。
なぜならば、私は神ではないから。
私は可能な限り聖書的であろうとしている。
そして、聖書的な意見を述べたときに、それに対して「ノー」というなら「では、あなたの意見は、どうやって聖書から証明しますか?」と問いかける。
それに対して答えられないならば、その人は、自分の意見を主張する権利を失う。
聖書的な根拠を示すことができずに自説を振りまくならば、その人を「単なる頑固者」または「非聖書的な意見を言う異端者」と見なす以外にはない。
キリスト教界の慣習とか、そんなものは根拠にならない。
ヴァン・ティルの前提主義とは「聖書は出発点であり、人間は、それを前提として思考すべきだ」と唱える。
「聖書は出発点ではなく、最高権威でもない」という人は、クリスチャンではないし、兄弟姉妹としてお付き合いもできない。
とにかく、異論がある人は、聖書から具体的に論証してください。
2018年10月8日
ホーム