約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です


ミレニアムでは、福音派や今の教会の神学の基本が、イエズス会(イルミナティ)の作った偽教理の影響を濃厚に受けており、宗教改革の聖書主義から大きく外れたことを示してきました。

この事実を理解し、正しい教えに入る人々は、出エジプトをしたのだと考えていただきたい。

サタンは、真理に来ることを妨害します。

そのため、健康状態を悪化させて、こちらに来たことを後悔させようとします。

しかし、理性的に考えてください。

もとの集団は聖書に従っているでしょうか。

聖書に反していることを教えている集団になぜ戻る必要があるのでしょうか。

健康面や後悔などの攻撃があるのは、聖書的な立場を堅持するための訓練を受けているからです。

サタンの側は、聖書的な立場を取ろうとする者をぐらつかせようとします。

そして、以前の教会、つまり、サタンに毒されている人々のほうが豊かであると誤解させようとします。

エジプトから出たイスラエルの人々は、「エジプトの生活のほうがよかった」と愚痴を言いました。

自由になることのほうが奴隷よりも悪いという印象を与えようとするサタンの誘惑に負けました。

こういう攻撃が来たときには、とにかく嵐が過ぎるのを待つしかありません。

もとのさやに収まると、今の状態よりもはるかに悪化するでしょう。

なぜならば、サタンは、振り返った人々を食い物にするからです。

自由の代償は、苦難です。

しかし、それを乗り越えない限り、カナンの土地には到着しません。

異端を信じている人々が、繁栄や祝福と見える状態にいるかもしれません。

ある新興宗教は、莫大なお金が集まって、全国に支部を次々と作っています。

しかし、それが成功なのでしょうか。

聖書のとおりに生きれば、それが「成功」なのです。

現状がどうだとかで判断できません。

青函トンネルを掘っていたときに、大水が出ました。

ほぼ工事は失敗に終わるかに思えました。

大水が出たことは、失敗なのでしょうか。

「北海道と本州を結ぶトンネルを掘る」という正しい目的のために働いていることそのものが「成功」なのです。

聖書のとおりに生きて活動していることが成功なのです。

自分の人生がみじめであるかどうか決定するのは、神様です。

神様が、正しい生涯を送ろうとしている人を「みじめな人生だ」と言うでしょうか。

神様のために活動するという道を踏み出したことそのものが「成功」なのです。

結果は関係ありません。

ピルグリムファーザーたちは、第一陣は500人全員が風土病で大陸についてから一週間で死亡しました。

では、アメリカに植民したことは失敗だったのでしょうか。

サタンの領土を奪還する働きの歴史は、熾烈でした。

伝道者たちは、ものすごい犠牲を払ってきました。

しかし、そういうことのために捧げる人生は結果と無関係に尊いのです。

新しい事実を知って考え方が変わると、新しいステージに立ったことになります。

言葉を代えれば、新しい学校に入ったのです。

私たちがもう一度中学校に入りなおして、授業を受けることができないように、これだけ知識を得て、光に照らされた以上、昔の無知の時代、サタンの騙しの時代に戻ることは不可能です。

人との付き合いも同じです。

人は、「その時限りのつきあい」のために出会う人がほとんどです。

一生付き合うように定められた、たとえば、両親や配偶者、子供のような人はまれです。

ほとんどの人々は、その時々に自分の成長のために与えられる人です。

自分が大学時代に出会った人々は、当時の自分にとって非常に尊い人々でしたが、久しぶりに再会しても、得るものはほとんどありません。

私たちは、「神の作品」です。

神の計画にしたがって、出会う人々を神があらかじめ用意してくださいます。

そして、神の思うとおりの人間になるように、使わされるのです。

ですから、すでに学んだ過程の人に執着する必要はありません。

自分は、すべてを捨てて、次のステップに進むべきです。

神学が間違っていても祝福される人々がいるのが不思議であるかもしれない。

しかし、それは、サタンが許しているのです。

自分のところにいる人々に対しては、死亡する直前まで騙し続けます。

直前に正体を現して、「よくここまで騙されてきたなあ」と嘲笑するのです。


あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。(ヘブル10・36)

 

 

2015年6月21日



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