社会的基準で生きることは偶像礼拝である
自殺にしても絶望にしても、サタンの誘惑に負けると起こる。
サタンは、常に自分の考えに固執させようとする。
自分の考えに頑固にとどめようとする。
人間大なり小なり変わったところがある。
それは個性であるが、その個性が社会生活を不可能にしてしまうようなものもある。
こういった場合、社会的にその人はハンディを負っている。
しかし、本当の社会とは、そのような「飛び出した個性」の人も含めて社会なのだ。
だから、社会生活ができなくなるほどの個性があっても、悲観することはない。
全部神様の導きなのだ。どのようなDNAで生まれてくるかなど自分は何も決定できないし、親も決定できない。
全部神が決定されている。
イチローのようなDNAで生まれれば社会的にはラッキーである。
よく「絵に描いたような成功」の話を聞くと、「変わった人もいるんだなあ」と思う。
大体の人は社会的に失敗する。
日本は成功した社会である。あらゆる点で成功した。
こんな社会は世界で唯一である。(*)
社会的に成功するということはごくまれなことである。
ピアニストとして成功するかしないかは、DNAの違いだと思う。
努力してもあるところまでは行くがそれ以上は無理だ。
プロとして成功するというのは技術だけでは無理。
「味」がなければならない。
その味は、本人の努力ではなく、生まれながらのもの。
つまり、自分に与えられたDNAの配列がたまたま社会に受け入れられる(つまり、人気が出る)ものであったかどうかである。
全員に個性がある。
歌を歌ってもすべての人に特別な味がある。
しかし、その味が多くの人に受けるものであるか、それとも、ごく少数の人に受けるものであるか、違いがある。
世に言う「優れた歌手」とは、多くの人に受け入れられる味を持っていたということだ。
これは努力が及ばない世界である。
世の中の構造はこういうものだ。すなわち、
優れたDNAを持っているいわゆる3パーセントの「天才」が97パーセントの富を獲得し、そうではないDNAを持っている残りの97パーセントのいわゆる「凡才」や「鈍才」がその残りの3パーセントを分け合う。
これが世界の現実であり、神はそのような世界としてこの世界をおつくりになった。
どの業界を見ても稼ぐ人間は、ぼろくそに稼ぐ。
10年間予備校業界にいて、この違いにつくづく驚いた。
大本教の教祖出口王仁三郎の孫が予備校教師として活躍していた。彼の時給は数十万と言われていた。
友人でもあった日本で一番の人気のある英語教師は、授業が必ず満室になる。だから、一日に何十万も稼ぐ。
一般の教師は、せいぜい時給1万から2万円。数百人のクラスを受け持ってもそれしかもらえない。
他の業種から見れば時給は恵まれていたが。
何が違うって、DNAが違うのだ。どんなに努力しても教室を常に満杯にできる人は一部しかいない。
教会でも、人気牧師の教会にはものすごい人が集まる。
経営学の神様と呼ばれるドラッカーは、クリスチャンだった。
ただし、彼はユダヤ人。
ユダヤ人は、各業界において画期的な仕事をする。
その人がその業界のスタンダードを作るような。
しかし、ご注意。
ユダヤ人独特の世界観に引き込まれるから。
フリーメイソンの世界統一主義(実は非常に排他的なユダヤ民族主義が背後にあるのだが)。
それでドラッカーの影響を強く受けたと思われる教会成長学によって教会のフリーメイソン化が進んだ。
「人が集まらなければ意味はない」という結果主義が巧妙に侵入した。
「駐車場を広くしないと教会は伸びない」とか。
聖書の持つ因果律(倫理)の影が薄くなった。
商業主義になり、聖書もキング・ジェームズ訳よりもリビングバイブルのようなものが読まれるようになった。
「分かりやすくなければ意味がない」という理由で。
格調の高さなどが切り捨てられた。
成功を短絡的に期待すると、サタンに騙される。
長い目で見ないと、変な方向に連れて行かれる。
自分の個性を見ると、社会に受け入れられるようなものではないかもしれない。
社会が期待するものと自分の持っているものがかけ離れているかもしれない。
社会的成功を人生の目標にするのは偶像礼拝である。
人の目を神とする異端である。
われわれはこのような間違った見方ではなく、ただ神にのみ期待し、神にのみ評価されることを求めるべきだ。
そうすれば、人の評価、人の目などによって振り回されなくなる。
それゆえ、勝ち組や負け組といった間違った区別にとらわれることもなくなる。
御言葉に執着して、自分を忘れよ。
サタンの罠は「自分に執着する」という悪癖の中に潜んでいる。
(*)
われわれ住んでいる人間から見れば当たり前になっているが、実はすごいことなのだ。
アメリカが成功したとは思えない。戦争ばかりしている。戦争をしないとやっていけない。年間失踪する子供が5000人いる。
その何パーセントかは悪魔礼拝にささげられているという。
日本では一人失踪しただけで大騒ぎする。
拉致されたことなどアメリカでは話題にもならない。
平和で、文化的にも、自然的にも日本程成功した社会はない。
2010年11月17日
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