禁酒・禁煙運動の行きつく先


禁酒・禁煙の思想は、ファンダメンタリズムの本流ではない。

グレシャム・メイチェンやO・T・アリス、ヴァン・ティルの流れは、禁酒・禁煙を否定してきた。

このメイチェンのグループは、ポスト・ミレである。

神が創造されたすべてのものは、人間のためである。

被造物を楽しむことの禁止は、御霊から出ているのではなく、惑わす霊と悪霊から出ている。


しかし、御霊が明らかに言われるように、後の時代になると、ある人たちは惑わす霊と悪霊の教えとに心を奪われ、信仰から離れるようになります。
それは、うそつきどもの偽善によるものです。彼らは良心が麻痺しており、
結婚することを禁じたり、食物を断つことを命じたりします。しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。(1テモテ4・1-3)

ここで、食物を禁止する人々の特徴は次のとおりである。

1.惑わす霊と悪霊の教えに心を奪われている。
2.信仰から離れている。
3.良心が麻痺したうそつきどもの偽善による。

食物が創造された目的は、「信仰があり、真理を知っている人が感謝して受ける」ことにある。

この世界に存在する「食べられる物」はことごとく「信仰があり、真理を知っている人」のために存在する。

つまり、食物とは聖書的クリスチャンのために存在する。

聖書的クリスチャンが「感謝して受ける」ことが食物の存在理由である。

神は、御民との交流を求めておられる。

神は、御民が神をあがめ、造られたものを楽しみ、感謝することを望んでおられる。

バナナは、人間が手で皮をむいて食べられるようにできている。

玉ねぎは、熱処理しなければ食べにくい。つまり、人間の加工を前提として存在する。

果物や野菜の形状や味、栄養素を見たら、すぐに「ああ、これは偶然の産物ではない」と理解できるはずである。

「これは、神が人間のために与えられたものだ!」と悟れるはずである。

この明確な啓示に対して、進化論者は「ただの偶然だろう」と言う。

だから、呪われるのである。

無神論者や進化論者は、無数に存在する神の恩恵に取り囲まれながら、それに感謝しない。

このような忘恩に対する刑罰は、同性愛である。

それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。
神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。
それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。
彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、
不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。
それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。
それは、彼らが神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えたからです。造り主こそ、とこしえにほめたたえられる方です。アーメン。
こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、女は自然の用を不自然なものに代え、
同じように、男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行なうようになり、こうしてその誤りに対する当然の報いを自分の身に受けているのです。
また、彼らが神を知ろうとしたがらないので、神は彼らを良くない思いに引き渡され、そのため彼らは、してはならないことをするようになりました。(ローマ1・19-28)

同性愛の原因とは「神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝も」しないことにある。

何度も何度も忘恩を積み重ね、神を無視し続けた結果として、神は刑罰として「良くない思いに引き渡」される。

そして、「してはならないことをする」ようになる。つまり「男も、女の自然な用を捨てて男どうしで情欲に燃え、男が男と恥ずべきことを行なうようにな」る。

同性愛とは、神への忘恩の結果であり、神を無視し、拒絶した結果が招いた呪いの最終形態である。

だから、同性愛者とは、「もはや立ち返る望みなし」の烙印を押された人々である。

現代文化において、同性愛と同時に、禁煙運動が広まりつつあるのは偶然ではない。

根っこは同じだからである。

感謝して味わうように与えられた食べ物を「忌むべきもの」として扱うことは、「神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝も」しないことに等しい。

自分が手間暇かけて作って出した料理を拒絶されたらどう思うだろうか。

しかも「あれを食べてはならない」と宣伝されたら。

「そんなに私が作ったものを嫌うならもういいよ。お前たちとは絶交だ」と言われてもおかしくはない。

神は、ご自身が創造されたものを拒む人々に対して絶縁状をつきつけられる。

それゆえ禁酒・禁煙を説くキリスト教のグループは、「同性愛予備軍」なのである。

 

 

2016年7月21日



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