衣食住を超えた持ち物を求めることは罪か?


<Q>
「クリスチャンは衣食住で事足れりとすべき」とあるから、クリスチャンにとって、衣食住以外の好きなものを買うことは罪なのでしょうか。

<A>
そうじゃないと思います。


金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた、むなしい。(伝道5・10)

金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。(1テモテ6・10)

金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」(ヘブル13・5)

金銭を得る目的は、「地を従えよ」という神の命令のためです。

地上を神のために支配することが目的で金儲けをします。

その大きな目標を見失って金銭だけが最終目的になってしまうことがこの3つの聖句で禁止されているのであって、「衣食住以上はぜいたく品だ」ということが言われているのではありません。

ぜいたく品に対する敵意は、むしろサタンにあります。

サタンは人が豊かになることが嫌で嫌でたまらない。

できるだけ多くの人を貧乏にとどめておこうとします。

しかし、神の御心はそれと反対であり、できるだけ多くの人が豊かになり、地上において祝福されることです。

自分の収入が増えれば増えるほど自分が自由になるお金が増える。

それは、祝福であり、それによって自分の活動の幅が広がります。

神はクリスチャンに自由を与え、クリスチャンがこの世界において自由に支配することを望んでおられる。

なぜならば、神はクリスチャンを通じて御心を行われるからです。

クリスチャンが豊かになれば、多くの宣教師を養うことができる。

そして、世界中に福音が広まり、世界中が神の教えによって支配される。

このような状況がわれわれのゴールです。

金銭的な自由を行使すること、クリスチャンが祝福された生活をすることは、神の御心であり、難行苦行、清貧に耐えることが御心ではありません。

もし、あなたが、あなたの神、主の御声によく聞き従い、私が、きょう、あなたに命じる主のすべての命令を守り行なうなら、あなたの神、主は、地のすべての国々の上にあなたを高くあげられよう。
あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うので、次のすべての祝福があなたに臨み、あなたは祝福される。
あなたは、町にあっても祝福され、野にあっても祝福される。
あなたの身から生まれる者も、地の産物も、家畜の産むもの、群れのうちの子牛も、群れのうちの雌羊も祝福される。
あなたのかごも、こね鉢も祝福される。
あなたは、はいるときも祝福され、出て行くときにも祝福される。
主は、あなたに立ち向かって来る敵を、あなたの前で敗走させる。彼らは、一つの道からあなたを攻撃し、あなたの前から七つの道に逃げ去ろう。
主は、あなたのために、あなたの穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださることを定めておられる。あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたを祝福される。(申命記28・1-8)

もし、衣食住以上の持ち物が罪であるならば、この箇所をどのように解釈するのでしょうか。

「穀物倉とあなたのすべての手のわざを祝福してくださる」とあります。

自分が食べる以上の余剰の収入が祝福の一つに数えられている。

「ぜいたく品」に金持ち税をかけるのは、ねたみ以外の何者でもありません。

 

 

2011年5月28日

 

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