神の民は必ず目覚める


今日、組織的に見て、依存できる対象はほとんど皆無である。

つまり、「この団体に所属していれば大丈夫だ」というような教会も、組織もない。

「再建主義だということで教会に入りました。でも、牧師がN・T・ライトにかぶれ、フェデラル・ヴィジョンを採用しました」ということが容易に起こり得る。

それほどに、悪魔の攻撃は強く、人々をだまし、そこから抜け出た人々にも罠をかける。

聖書や宗教改革の立場から引き離す誘惑は常に存在する。

われわれが唯一依存できるのは、聖書である。

そして、聖書は、「神が契約の民に誠実であられるので」保存されてきた。

二千年間、契約の民に御言葉を隠す神など神ではない。

最近、新しい福音書が発見された、などということはありえない。

新しい啓示とか、新しい教えなどというものもありえない。

神は聖書の中において十分にわれわれに真理を示してこられた。

「実は、あなたにはずっと明かしてこなかったが…」みたいなことを言い出す神とはだれか。

それは悪魔だ。

悪魔が御言葉を隠すことはある。

しかし、神が御言葉を隠すことなどありえない。

だから、聖書にこそわれわれは依存すべきであり、実際、マジョリティ・テキストが歴史上のほとんどのクリスチャンによって使用されてきたということは、それが神の言葉であるという有力な証拠である。

「年代が古いアレキサンドリア写本のほうが学問的に信用できる」という学者の言葉を信用してはならない。

われわれが唯一依存できるのが聖書である以上、神は御言葉の隠蔽があれば、必ず人を起こして、改革を実行される。

教理においても同じである。

神は長い間間違った教理に支配されることをよしとされない。

それゆえ、ディスペンセーショナリズムの支配も終わる。

神の民は必ず目覚める。

 

 

2015年12月2日



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