御心が天で行われるように地上でも行われますように
1.
クリスチャンの場合、神や御言葉以上に大切にするものができると、大きく道を外れて、平安を失い、自分が自分でなくなる。
私は、何度も「人生をぶん投げます」と言ってきた。
「今、私にとって〇〇は神様以上の存在になろうとしています。これを手に入れて信仰の道を外れるくらいなら、人生をぶん投げたほうがましです」と。
つまり、リセットボタンを押すということ。
もし御心と異なる「お城」が自分の中に築き上げられているならば、それはバベルの塔である。
もし御言葉と矛盾する教えが自分の中に育ち、大きくなってきたなら、築かれたその教えを全部捨てる。
聖書的ではない人脈ができてそれが聖書と矛盾するならば、全部捨てる。
「せっかく手に入れた仲間じゃないか」とサタンはささやく。
しかし、「信仰が鈍るくらいなら、全部捨てる」と答える。
「おまえの人生は貧弱なものになるぞ」
「自分の人生をぶん投げる。信仰が鈍るなら、お金とか人脈とかいらない。」
長い航海で船の表面に貝殻が付着すると、速度が低下する。
社会的なしがらみや、人間関係、金銭上の利益・・・
これらが貝殻になることがある。
聖霊が語るとおりのことをストレートに語れなくなる。
そうしたら、全部捨てる。
10億のポケットマネーを福祉施設を作るために投資したある資産家と仕事を通じて知り合いになった。田園調布にある自宅にも招かれた。
何度も会ううちに、反日だとわかって、付き合うのをやめた。
著名な政治家や法律家と知り合いで、国会にも出入りするクリスチャンと知り合いになった。
国会議事堂で開かれる集会にも招かれたが、「聖書にこだわる必要はない」と言ったので、即時に連絡を絶った。
聖書的ではない生き方をする人と付き合うと、必ずサタンがこちらの信仰をずらそうとその人を利用するので、最後は手痛いダメージを負う。
その人本人を嫌っているわけではない。
警戒しているのは、背後に潜む悪魔である。
人生において、サタンは何度か特別においしいケーキを出してくる。
それを食べたらおしまいである。
人生が自分の人生ではなくなる。
中国で接待をうけ、ハニトラにひっかかって中国のいいなりになるしかない政治家はケーキを食べて失敗した連中である。
2.
サタンは、巣をつくるのがうまい。
何度か誘惑し、罪を習慣化させる。それがサタンの巣になる。
こちらの中に巣をつくることができれば、追い出すのが難しくなる。
あるエクソシスト(悪霊追い出しをする人)が、とりつかれている人に向かって「なぜおまえは、この人にとりついているのか」と尋ねると、悪霊は「だって、こいつが罪を楽しんでいるから」と答えた。
3.
国家単位でも憑依は起きる。
アメリカは、ウィルソン大統領が悪魔に屈して連邦準備制度設立法に署名してしまった。
信用制度(紙幣発行権)がイルミナティの手に握られ、中枢部がサタンにおさえられた。
政府紙幣発行を試みたケネディ大統領は暗殺された。
4.
イスラエルの町は城壁で囲まれていた。
城門には、審査する者がいて入る人をチェックした。裁判は門で行われた。
霊的な世界でも同様であり、それが神の国であれ悪魔の国であれ、入り口で審査がある。
クリスチャンになるとき、結婚してクリスチャンホームを作ろうとするとき、献身して牧師や伝道師になろうとするとき、試練にあう。
本気度をチェックされる。
入る場合だけではなく、出る際にもチェックされる。
悪魔側にいる指導者のもとを離れて、神の側にいる指導者のもとを訪れようとすると、必ず後ろ髪を引く者が現れる。
アメリカが連邦準備制度の支配から脱する際にも、試練が襲うだろう。
神と悪魔、どちらの場合でも、門で試される。
5.
自分で何かを握りしめるとろくなことがない。
手を開いたままで所有する癖をつけること。
何度も苦しい経験をすると、握りしめることが恐ろしくなる。
早めに腐れ縁を切ることができるようになる。
それでもノンクリスチャン時代につけた執着物は、なかなか取れない。
6.
神は、われわれを「純粋な聖霊の器」にしようと計画された。
試練は、自分の中にあるいろんなしがらみを取ってくれる。
執着物が取れれば取れるほど、聖霊の支配は拡大する。
執着物があると、祈りがきかれない。
主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(2歴代誌16・9)
2016年5月27日
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