日本の文物にはイエス・キリストが隠されている
1.
物部氏にはまだイエスは顕現されておらず、ようやく秦氏においてイエスは現れ給う。
と述べたが、実際、物部氏は、紀元1世紀に福音を聞いていたので、3世紀までイエス・キリストについて知らなかったというわけではない。
なぜ紀元1世紀に福音を聞いたとわかるかというと、紀元70年のイエスの再臨までの間に、全世界伝道が行われたからである。
ペテロはバビロンに、ヤコブは中国にまで足を延ばしたことが明らかになっている。
契約の民がいるところ、そこに福音伝道者は現れる。
なぜならば、契約の民には福音を聞く権利があるからである。
イエスが十字架にかかられた目的は、契約の民の救いにあった。
保険金が保険契約者に支払われるのと同じで、イエス・キリストの贖いが成就したとの知らせは、アブラハム契約を結んだユダヤ人に届けられなければならない。
それゆえに、弟子たち及びそのまた弟子たちは世界中に散ったのである。
全世界に散っていたイスラエル12部族の間には緊密な連絡関係があった。
よく失われた十部族と言われるが、ヤコブはイスラエル12部族全体に対して挨拶を送っている。
神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。(ヤコブ1・1)
そのため、弟子たちのターゲットは、場所的にピンポイントで絞られていた。
弟子たちは、ディアスポラのユダヤ人たちに効果的に伝道した。
もちろん、物部氏を含む日本にも来ていた人々にも福音は伝えられただろう。
2.
徐福率いる物部氏は、もともとディアスポラとして中国に散っていたユダヤ人であり、日本に「不老不死の国」を作るためにやってきたのではないだろうか。
それは3000人の童男童女、技術者を連れてやってきたからである。明らかに永住目的である。
不老不死の国とは、文字通りのそれではなく、イザヤが長寿を予言した「回復された栄光のイスラエル王国」つまり「新エルサレム」である。
京都を作った秦氏が「平安京」という名前にしたのは、明らかに「エルサレム(エル・シャローム=平安の都)」を意識している。
おそらく、物部氏も秦氏も、日本を新エルサレムとして移住してきたのだろう。
古来、ヨーロッパには、東洋にキリスト教国があるとの認識があった。それがモンゴル帝国に期待を寄せた理由だという。
http://reki.hatenablog.com/entry/mongol-christian-explain
モンゴルではなく、日本なのである。
日本は、もともとキリスト教国として存在していた。
このことを、ヨーロッパの人々は、口伝えで「どこの民族は知らないが東にキリスト教国があるらしい」と知っていたのである。
3.
何らかの形で日本の真の姿は隠されてしまった。
物部氏や秦氏は、暗示という手法を取ってきた。
童謡や伝説の中に奥義を潜ませてきた。
私は、カゴメ歌や浦島太郎伝説は、イエス・キリストを示していると考える。
ヒョウタンのキャップ部分はツルといい、ボトム部分はカメという。
鶴亀は、はじめと終わりを象徴し、それゆえ、イエス・キリストを示す。(浦島伝説は亀で始まり、鶴で終わる。)
だから、ヒョウタンはイエス・キリストを象徴する。
籠神社は別名匏宮(よさのみや)とも、吉佐宮(よさのみや)ともいうが、この 「よさ」という宮号はひょうたんの褒め言葉である。
http://www.motoise.jp/about/
つまり、籠神社=ヒョウタン神社=イエス・キリストの神社。
剣山はもともと鶴亀(ツルキ)山といっていたので、イエス・キリスト山なのである。
四国八十八箇所からは、いずれも剣山が見えない。
剣山は至聖所であり、八十八箇所は結界である。
空海は四国全体を御神域にしたのだ。
六芒星は、▽が鶴、△が亀をあらわすので、イエス・キリストの象徴である。
剣山にも籠神社にも六芒星があるのは偶然ではない。
空海は、鶴亀の別表現である。
つまり、空海とはイエス・キリストを示している。
このように、日本の文物には、イエス・キリストが隠されている。
2017年3月10日
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