新しい動きを作るほうがはるかにまし
このような記事を見ていて感じるのは、人の活動を本当に理解することのむずかしさである。
ミレニアムの活動は、問題の本質を現象面(政治や経済など)だけではなく、霊的側面でも鋭くえぐる画期的なものである。
現代のキリスト教は、イルミナティに取り込まれた。
だから、イルミナティの体制内部に属するからその体制そのものを批判できない。
アメリカのキリスト教を模範として取り入れるが、アメリカのキリスト教そのものがイルミナティ化されているので、同じ病気に感染している。
ユースタス・マリンズが述べたように、「中央銀行家たちにとって、民族国家は世界政府を妨害するものであるから取り除くべき」である。
米国のキリスト教、そして、韓国のキリスト教は、日本原罪論であり、天皇は戦犯である。
日本人は世界市民に組み込まれて消滅すべきであり、日本という国家も解体すべきという論調である。
聖書は、各民族を立てあげて、互いに違いを認め合いながら調和する体制を奨励している。
日本人は日本人らしく、米国人は米国人らしく。
しかし、イルミナティの思想は、民族を消し去るものである。
だから、イルミナティが支配するハリウッド映画では、西部劇はご法度。民族を前面に出すものは禁止される。
代わりに制作されるのが、UFOもの。
全民族を地球市民という一つの枠の中に組み込みたいのだ。
かくのごとく、キリスト教はイルミナティに汚染されており、まともな教えを教える教会を探すのがきわめて難しくなってしまった。このような事情から、既存の教会や神学校において評価されることに意味はなくなってしまったのである。
私は、バプテスマのヨハネのように体制から離れるように導かれた。
既存のシステムの中に入ることに意味をまったく感じない。
新しい動きを作るほうがはるかにましだと思っている。
2012年9月11日
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