大祭司が至聖所に入ったのは何を象徴するのか?


1.

至聖所へは、大祭司が犠牲の血を携えて入った。

大祭司は、民の代表である。イスラエル12部族を表現する12の石が埋め込まれた胸当てをつけていた。

至聖所には、「支配の王座」があった。

これはどういうことを意味するのだろうか。

神の民であるイスラエル十二部族が、イエス・キリストの犠牲によって、支配の座についた、ということである。

新約聖書において、神の民とは、イエスを信じる人々、つまり、クリスチャンである。

クリスチャンは、イエス・キリストの犠牲によって神と和解し、世界を支配する王座のある至聖所に自由に入ることができるようになった。


すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。そして、地が揺れ動き、岩が裂けた。(マタイ27・51)

聖所と至聖所を分けていた厚さ1メートルもある垂れ幕が真っ二つに避けた。

こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、自信をもってイエスの血によってまことの諸聖所に入り、真摯な心で近づくべきです。(ヘブル10・19、22)

これは「神の民は世界の王となった」ことを意味する。

キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。(エペ2・6)

キリストは神の右の座についている。

御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現われであり、その力あるみことばによって万物を保っておられます。また、罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました。(ヘブル1・3)

それゆえ、キリストと「ともに天の所にすわ」っているわれわれも「大能者の右の座に着」いている。

そして、この大能者は「キリストの敵をすべて制圧する」。

神は、かつてどの御使いに向かって、こう言われたでしょう。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていなさい。」(ヘブル1・13)

御父は、敵と戦われ、彼らを御子イエス・キリストの足台とする計画である。

それまでキリストは神の右の座についている。

それゆえ、われわれも、キリストとともに神の右の座についているということになる。

世界征服が完了するまで、キリストは天にとどまっており、われわれも「法的に」天の王座にキリストとともに座っている。

つまり、全世界の神の国化が進展し、完成するまで、われわれクリスチャンは、王として世界を支配する。

大祭司が至聖所に入ることは、クリスチャンが世界の王となることを象徴している。

2.

われわれは、世界を動かすことができる。

邪悪な支配者がいれば、引きずり下ろすことができる。

全世界の政治体制が、クリストクラシー(クリスチャンによる支配)に移行するまで、反対者を祈りによって倒し続けることができる。

なぜならば、これは、御父のご計画だからである。

「わたしがあなたの敵をあなたの足台とする」(ヘブル1・13)

御父の計画を誰が邪魔できるだろうか。

3.

体力を奪う霊の攻撃を受けていた。

夜、追い出しを行ったところ、何かが離れたのを感じた。

その瞬間から、体が軽くなり、体温調節もできるようになり、元気が戻ってきた。

それまでは、少しの寒さでもクシャミがでて、風邪をぶり返していた。

今は、少々の寒さでも平気である。

われわれが大きく発展し、世界の奪還を開始できないように、攻撃が激しい。

キリストのために世界を奪還する戦いに参加すれば攻撃を受けるかもしれない。

しかし、報いも大きい。

これは、この世界を善人が支配する世界に変えるための戦いである。

 

 

2017年11月20日



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