紀元70年にエルサレムを脱出して虐殺を逃れたクリスチャンたちは、ペラという町に移動する。
この町はヨルダン川の東岸にあった。
これは何を意味するのか。
ヨシュアとカレブはヨルダン川の東岸に立ち、その川を渡って、約束のカナンの地に入った。
クリスチャンは、約束の民である。
永遠の祝福を受けるべき民である。
もしカナンの地がその時でも約束の地であり続け、聖地であり続けるならば、神はそこから出すはずがない。
ローマ軍を倒して、その地を守ることができただろう。
しかし、違った。
クリスチャンは、カナンの地から出るように導かれた。
つまり、これは、「カナンの地はもはや約束の地ではないし、聖地でもない」ということを示している。
神殿が崩壊したことによって、神は、石造りの神殿はもはや神の住まいではないと示された。
イエスが言われたように、「神殿を壊して三日で建て」られたイエスの復活の体こそが新しい神殿である。
イエスは彼らに答えて言われた。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」(ヨハネ2・19)
そして、パウロは、クリスチャンの体こそが新しい神殿であると言った。
あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり…(1コリント6・19)
キリストとクリスチャンの体は、新しい神殿であり、聖霊の住まいである。
それと同じように、もはやカナンという特定の土地が聖地ではない。
イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。 …
しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」(ヨハネ4・21-24)
イエスの時に、すでに「霊とまことによって父を礼拝」し、「父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない」時が到来していた。
だから、石造りの神殿の再建とか、カナンの地の回復を目的とするシオニズムとそれを支持するクリスチャンシオニズム(ディスペンセーショナリズム)は間違いなのである。
これは、イエスの御言葉を無視する大罪である。
われわれは、イエスが復活され、神殿が崩壊し、クリスチャンがカナンの地を出たときに、新しい時代が始まったと考えなければならない。
明らかに経綸(神の統治の方法)が変わったのである。
イエスは神殿崩壊の紀元70年に正式に世界の王になり、新天新地が到来したのである。
クリスチャンがイスラエル旅行を「聖地旅行」などと言ってはならないのである。
聖俗の区別の基準は、もはや「ものそのもの」にあるのではなく、ものを使用する人の動機にある。
神の栄光のために食べる物は聖く、神の栄光のために食べない物は穢れている。
主イエスにあって、私が知り、また確信していることは、それ自体で汚れているものは何一つないということです。ただ、これは汚れていると認める人にとっては、それは汚れたものなのです。(ローマ14・14)
「たばこは穢れている」とか「酒を飲むことは罪だ」というようなこだわりを持っているのは、新約時代に経綸が変化したことを知らないからである。
われわれは、ものそのものを拒否してはならない。
…しかし食物は、信仰があり、真理を知っている人が感謝して受けるようにと、神が造られた物です。
神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。(1テモテ4・3-4)
「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つ」ない。
禁煙運動、禁酒運動は、ことごとく悪魔的である。
なぜならば、聖書の基準と別の基準を設けるからである。
(私は法律を破れという意味で言うのではないが、)大麻禁止も悪魔的である。
問題は、「どういう動機で使用するのか」である。
これこそが新約時代における善悪の基準である。
紀元70年にキリストのニュー・ワールド・オーダーが成立してから、「霊とまことによって父を礼拝」する体制に変わった。
問題は外面的・物質的ではなく、「霊的・誠意」である。
神の栄光を表し、神の国を求めて行動するかどうか、である。
どこか特定の場所を聖地としたり、何かの食べ物を悪としたり、石造りの神殿を再建したり、そういう考え方は、キリストのニュー・ワールド・オーダーにおいてはふさわしくない。
それは、旧約時代、つまり、オールド・ワールド・オーダーにおいて適用された基準である。
なぜ今日、福音派やファンダメンタリズムの教会において、禁酒禁煙が説かれ、パレスチナが聖地とあがめられているのか。
それは、ユダヤ教の影響を受けたからである。
ユダヤ教は、意図的に教会の中に偽預言者を送り込み、オールド・ワールド・オーダーの経綸を復活させようとしてきた。
実質タルムードユダヤ教であるイエズス会の司祭エマニエル・ラクンザがディスペンセーショナリズムを作り、それを偽預言者を用いて教会の中にはやらせた。
紀元70年以前の経綸を復活させようとしてきた。
なぜか。
偽メシアを迎えさせるためである。
偽メシアをエルサレムの神殿に据えて、世界をそこから支配させるためである。
ディスペンセーショナリズムが支配してから、アメリカのファンダメンタリストのクリスチャンたちは、イスラエルの建国に反対しなくなった。
シオニズムにとって、彼らは最大の障害であったが、ディスペンセーショナリズムによって、逆に親シオニズムになった。
現在、福音派などファンダメンタリストたちは、親イスラエルである。
イスラエルの武力支配に賛同すらしている。
本来、クリスチャンは、このロスチャイルドの運動に対して反対するはずである。
しかし、逆になっている。
今、クリスチャンは、親イルミナティである。
完全に立場が逆転しているため、イルミナティであるローマ・カトリックを受け入れ、マザーテレサを賛美し、イグナチウス・デ・ロヨラの霊的訓練を取り入れる。
見事に、ユダヤ教側は、プロテスタントのクリスチャンをユダヤ化することに成功した。
ユダヤ教の本質はルシファー礼拝である。
http://www.henrymakow.com/lucifers_chosen_people.html
カナンの地を聖地と呼び、神殿建設に賛成し、イスラエルを支援し、シオニズムを奨励し、酒たばこを白眼視し、ローマ・カトリックに寛大な今の教会は、ルシファー礼拝に取り込まれている。