怒りに燃えている人を鎮めることなど私にはできない
最近、よく憎しみに満ちたメールをもらうのだが、考えてほしい。
私が何をしたというのか。
自殺は責任放棄だというと怒り、護国のために活動すると傲慢だという。
聖書に記されていることをただ述べただけだ。
自分ができているから、立派だから言っているのではない。
そんな立派にならないと語れないなら、誰ができるというのか。
そんなに批判するなら、じゃあ自分はどうなのか。
日本を守るために何かしてるのか。
今、中国は反日のプロパガンダを加速させている。
一つ一つ、嘘を指摘し、世界の人々が日本について誤解しないように、南京大虐殺や731部隊、性奴隷のプロパガンダをつぶしていかないと、大変なことになる。
むしろ「日本のために頑張ってくださってありがとうございます」というのが筋ではないか。
それから、このサイトは私的なサイトで、公表しているわけではない。
誰でも見れるようになっているのは、一人ひとりに制限をかけられないからだ。
キリスト教が嫌なら、護国活動が嫌なら見ないでほしい。
それから、私は、本来、教える立場には立ちたくない。
目立つこともしたくない。
しかし、広めないといけないことがあるのでやっている。
間違った方向に向かっているならば、それを指摘するのが責務ではないか。
最近複数のクリスチャンから「意見が異なるので平行線ですね」と言われたので、関係を切った。
平行線の人とどうしてかかわりを持つ必要があるのか。
その後も執拗にいやがらせのメールをよこしてくる。
いやがらせをしても、こちらは立場を変えるつもりはまったくないから無駄な努力だ。
去る者は追わず。来る者はこばまず。
私には、それしかできません。
関係修復は神がやること。
怒りに燃えている人を鎮めることなど私にはできない。
2017年4月16日
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