偽札をつかまされたら踏み倒しこそが正しい返し方である
銀行は無からお金を作ってそれを貸す権利がある。
だから、それは、バーチャルなお金。
借主が失敗して、返すがことができなくなっても、銀行側は全く損をしない。もともとなかったお金なのだから。
それゆえ、踏み倒しても道徳的には問題がない。法律的には問題があるが。
しかし、神の法という点から見て、問題はない。問題があるのは、そもそも銀行側である。聖書に「不正な秤を用いてはならない」とあるので。
つまり、聖書的に言えば、通貨とは、それ自体に価値がなければならない。
天秤に、通貨と物を乗せた場合、通貨は物の価値に匹敵する貴金属でなければならない。
仮に、貴金属ではなく、その引換券であっても、その物の価値に匹敵する価値のある引換券でなければならない。
聖書の教えによれば、国も銀行も市民も、皆、平等で、誰かに過剰な利益が渡るようなシステムではない市場でなければならない。
しかし、不換紙幣の制度、信用創造の制度は、お金を作り出す権利が日本銀行と一般の銀行に与えられている。
だから、そもそも、システムが詐欺なのである。
例えば、日銀側では、1枚の1万円札は、30円程度でできるらしい。
われわれ労働者は、1万円稼ぐのに1日かかる。
日銀の努力30円分とわれわれの努力1日が等しいなどというシステムが平等であるわけがない。
詐欺のシステムにおいて、勤勉に働くことは、何も意味しない。
熱心に働いて1ヶ月30日丸々働いて得た30万円。
日銀側は、900円の労力。
こちらが勤勉になればなるほど、不平等が拡大していく。
これがシステムの恐ろしさである。
勤勉なものが勝利するわけではなく、システムを握ったものが勝利する。
かつてある男と仕事をしていた。彼は、元プロ野球の選手であり、仲介業のようなことをやっていた。
ダム建設の飯場の仕事があるという。
飯場に提供する食材や労働者の手配は、一つの利権である。
3000人の労働者が山奥で働くとなれば、近所に店がないので、そこでたべるしかない。
毎日の食費の何パーセントかが、毎日自分の懐に入るという。
政治家と仲良くすれば、そういう美味しい仕事が手に入る。
こういう話は、随所に転がっている。産業廃棄物の話も聞いた。ビール会社からビール製造後にでる膨大な量の絞りかすを山奥に廃棄する仕事があるという。
トラック1台分につき自分に入るお金はこれくらいだ、と。
へーと思って聞いていた。
「この世界はシステムを握ったものが支配する」。
この事実を、サタン側は、最初から見抜いていた。
最強のシステムとは、通貨制度である。
これを握れば、怖いもの無し。
アムシェル・ロスチャイルドは「私に一国の通貨の管理と製造の権利を与えよ。そうすれば、誰が法律を作ろうが知ったことではない」と述べた。
中央銀行を握ったものがその国を支配する。
サタンは、自分の手下に中央銀行を支配させた。
サタンの世界支配計画において、中心は、中央銀行の設立である。
これが成就するためなら、理屈はどうでもいい。
共産主義革命の十分の九は、中央銀行の設立にある、とレーニンが言った。
明治維新の眼目は、中央銀行の設立であった。
中央銀行が設立され、しかも、通貨が不換紙幣になり、銀行に信用創造の機能が備わってからは、勤勉はもはや利益ではない。
借金は踏み倒してイーブンである。
バーチャルなお金を借りたのであれば、こちらもバーチャルな返し方をして、平等。
バブル崩壊の後始末の正しい方法は、実は、踏み倒しである。
バーチャルなお金をこちらに渡した時点で、銀行はすでにわれわれから奪っている。
偽札を渡した客が、コンビニに対して損害を与えているのと同じである。
だから、渡されたコンビニの正しい対処の仕方は、商品を渡すことではなく、警察に突き出すことである。
銀行は、われわれに偽札を渡している。それが銀行の貸し出し業務なのである。
だから、われわれの対処法は、金利をつけて返すことではなく、踏み倒して、警察に突き出すことである。
しかし、国家ぐるみで詐欺をやっているから、警察に訴えても動かない。
私は、ここで法を犯せ、と言っているのではない。
何故ならば、聖書では、与えられた制度を尊重せよ、と述べているから。
われわれがなすべきことは、与えられた制度の中で服従しつつ、問題点を訴えて、合法的に世界を改善していくことである。
だから、銀行から金を借りたら金利をつけて返すべきである。
2016年12月21日
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