油断大敵
霊的な世界に関する知識がないと、問題を人間関係とか、経済とか政治とか、外交として認識する。
しかし、この世界で起きるほとんどすべては霊的な世界で起きていることの反映である。
ヨブに試練が次々と起きた。
ヨブ記では、「悪魔が神から許可を得て、ヨブを試練にあわせた」と記されている。
「降ればどしゃぶり」ということわざがある。
悪いことは立て続けに起きる傾向がある。
なぜか。
霊の世界において、悪魔が試練を与えることを許可されるからだ。
先日、ちょっとした隙を突かれた。
いつも翻訳の依頼があれば内容を調べて返事をしてきた。
しかし、今回、出先であり確認がしにくかったのと、仕事の依頼主がいつもの人で、だいたい自分ができる分量を依頼してくるということから、内容を見ないで受けてしまった。
開けてみてびっくり。
とても自分ひとりではできる量ではない。
方々に当たったが忙しいと断られた。
結局普段1日でこなす仕事量の4倍の量の翻訳をした。
幸い、後で業者が助け船を出して分担してくれて乗り切れた。
しかし、その後のチェックがひどかった。
依頼主が、もともとの条件であった「べた打ち」を破って表の作成を求めてきたのだ。
最初から断るのも角が立つので、量も少ないことから、表を作成した。
しかし、要求は次々と続いた。
「あ、これは背後で何か動いているな」と感じたので、祈ったところ、ぴたっと要求が止んだ。
あまりにも理不尽な要求を客先や知人がするとか、いじめがひどいとか、DVで家庭がめちゃくちゃだとか、そういうのは、背後で悪魔が働いているのである。
こういう場合、現象ばかりおっていても、解決できない。
金銭や人間関係、職業上の技術の問題とかとまったく違う場合がある。
あまりにも常識を外れている、あまりにも要求がえげつない。
こういう感覚があるならば、霊的な問題であると理解したほうがいい。
その場合、「〇〇の背後に働いている霊、お前を縛る」と祈る。
執拗に、執拗に祈る。
祈りの縄を悪霊に何重にも巻かなければならない。
昔の日本人はお百度参りや水垢離をした。
それくらいの熱心さ、執拗さがいる。
敵は、われわれの隙を突いてくる。
油断をすれば、そこにつけ入ってくる。
慢心、傲慢、慣れ、こういった気持ちの緩みがあるとサタンはやってきて、われわれを落とし穴に落とす。
たえず目を見開いて、祈るべきだ。
2013年6月2日
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