どっちつかずの態度をやめて、徹底して聖書に立つべきだ
私が、ラッシュドゥーニーの著書を紹介したときに、人々の反応にびっくりした。
きっと「驚いて、よく見つけましたね!すごいですね!」と言うと思った。
全然だった。
むしろ反対された。教会を追い出された。
そこで分かった。
自分は、まったく人と違う導かれ方をしてきたのだと。
ここまで27年かかった。
27年もの間、同じことを繰り返して訴えた。
しかし、岩盤は固い。
理解している人はごくわずかだ。
もちろん、現象的には、再建主義の影響はものすごい。
今、米国では、共和党のティーパーティが勢力を持ちつつある。
それでもティーパーティが再建主義そのものかというと違う。
福音派に広がったポスト・ミレは、統一教会やシオニストに利用された。
ディスペンセーショナリズムから抜けきっていないクリスチャンは政治に参加するようになったが、逆に大イスラエルの建設のために利用されている。
ブッシュ大統領のイラク戦争を支援した。
本当に理解していたら、こういう結論にならなかったはずだ。
6000万人の福音派クリスチャンは、イルミナティのために働いている。
ホームスクーリング運動も、ディスペンセーショナリズムによって骨抜きにされた。
「地を従えよ」ではなく「まもなく再臨がある」という教えでどうやって建設的な子供を育てることができるのだろうか。
全世界のクリスチャンは、そろそろ目を覚ましてほしい。
そして、祈ってほしい。
全世界のクリスチャンが、再臨待望をやめて、世界の変革のために祈れば、イルミナティは破滅する。
われわれの活動は、神の国の建設だから、妨害する人々は「必ず」裁かれる。
自分の人生を破滅させる。
神の国建設は、誰をも打ち破ることができないダイヤモンドでできた剣によって進む。
つまり、神の言葉である。
神の言葉に対抗できるものは、何一つない。
しかし、もし戦う人が、神の言葉以外の武器を取ったらどうなるだろうか。
必ず敗北する。
なぜならば、サタンは人間の造ったものを簡単に破壊できるから。
福音派は、人間の教えで戦っている。
いや、戦ってもいない。
私を追い出した教会が提示した罪状は、「律法を社会に適用するという危険な教え」を唱えたということだ。
律法が危険な教えであるならば、イエスは危険な教えを唱えたということに等しい。
なぜならば、「私は律法を廃棄するために来たのではない」といわれたから。
また、パウロは「信仰は律法を確立する」と言った。
この裁判を通じて、福音派は、聖書に真っ向から敵対する教えを唱えているということが暴露された。
このような教えでどうやってサタンに対抗できるのか。
サタンの餌食になって滅亡するのは時間の問題だ。
われわれに敵対することは、滅亡を選択するのと同義である。
もし人生を成功させたいなら、神の国のために戦い、神の言葉を武器として選択しなさい。
絶対に打ち破ることのできない要塞に入り、絶対に打ち破れない武器を取るものが勝利する。
ディスペンセーショナリズムというイルミナティの教えを捨てて、再建主義に立つべきだ。
われわれは、聖書に反することを述べるつもりはまったくない。
なぜならば、無意味だから。
せっかく最強の武器を持っているのに、なぜ豆腐のようなものを敵に投げつけるのか。
どっちつかずの態度をやめて、徹底して聖書に立つべきだ。
2014年11月25日
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