天照大神がキリストではないという人々へ:ちゃんとこちらの主張を読んでほしい


古代日本において、福音伝道がもしなかったとしたら、神は日本人を見捨てられた。

なぜならば、弟子たちには「全世界に出て行って、すべての作られた者に福音を伝えなさい」と命令されたから。

弟子たちは、インドや中国にも行った。

ユダヤ人は、ソロモンの時以来、世界に連絡網を張り巡らしていた。

だから、「失われた十部族」というのはない。

ヤコブが手紙の中で「十二部族」に挨拶を送っている。


神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。(ヤコブ1・1)

ユダヤ人は互いにどこにどの部族が住んでいるか知っていた。

このような緊密な連絡網を整備した世界において、なぜ日本だけ取り残されたのか。

そんなことがあるはずはない。

だから、日本にも紀元1世紀に福音は届いた。

そして、イエス・キリストの再臨による「羊と山羊を分ける」審判は、日本においても行われた。

それゆえ、世界各地の神話にキリストの福音の刻印が残されているように、日本神話にもそれが残っていると考えてどこがおかしいのか。

日本神話は、歪んでいるが、元初の福音の物語が残っている。

天照大神の天岩戸物語がそれだ。

十字架と復活を示す物語だ。

常識で考えるとまったく理解できない。

そのような常識を捨てていただきたい。

そうすれば、日本という国の成り立ちがキリスト教であったと理解できるだろう。

 

 

2015年5月17日



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