終末本で儲けるキリスト教出版社は呪いを受けている


ディスペンセーショナリズムを世界中に広めたダービーはハンサムである。
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人間は見た目に動かされるので、利用されたのかもしれない。

面接官は最初の印象で決めるとか。

そんなので人物がわかるわけがない。

ファッションモデルを選ぶわけではないのだから、見た目とか印象で政治家や思想家を選ぶべきではない。

もちろん、第六感を重視すべきではある。

教えに違和感を覚えるならば、慎重にすべきだ。

しかし、われわれにとって、判断を決するのは聖書的かどうか。

聖書と矛盾している場合は、受け入れてはならない。

だから、見た目や印象などは、一種の「隙」なのである。

長年の霊的戦いを経て感じるのは、「隙」を作ってはならないということ。

心を悪魔に支配されている人は、隙が多い。

なんでも受け入れる。

毒だと分かっていても、飲み込む。

悪魔はいろんな考えを入れてくる。

警戒心がないと、どんどん入れてくる。

とくに「恐れ」とか「心配」を利用する。

心配の後に「間違った教え」を吹き込む。

この方法は、エデンの園から一貫している。

霊的な世界を知らない人々は、安易に占いや魔術に頼る。

占い師に助けてもらって、どうなるだろうか。

奴隷にされるだけだ。

関取とか芸能人が占い師に騙されてむしり取られたという事件があった。

占い師は、金持ちを見つけると不安にさせておどかし、自分に依存させる。

すっかり依存したとわかると、刈り取りをする。

金を貢がせるのである。

新興宗教とは、「人の不安や良心を利用した金儲け」である。

「終末が来る!」というのも一種の詐欺。

終末本は売れる。

その本を読んで若者が人生を台無しになってもおかまいなし。

無責任きわまりない。

本当の教えとは、人々を堅実な技術を身に着けさせ、生産に向かわせるものである。

愛とは、人の徳を高めることである。

ディスペンセーショナリズムの終末論を吹き込まれて、将来設計ができなくなったのは私も同じ。

911のときに、「いよいよ終末だ」といった「伝道者」がいた。

あれから12年。

終末だと言われて、自分の職業技術や学力を伸ばすことをやめた人がいるかもしれない。

それらの人々に対して、この空白の12年の責任をどう取ってくれるのだろうか。

たしかに本は売れたかもしれない。

しかし、人々の人生を狂わせた責任は、計り知れず大きい。

終末本で儲ける出版社、とくにキリスト教出版社は、占い師と同じ罪を犯した。

呪われていることを理解すべきだ。

 

 

2014年2月13日



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