一挙に成功することの恐ろしさ


最近の韓国、とくに李大統領は異常だ。

神が放置されると、人間は言ってはならないこと、やってはならないことをするようになる。

神の前に身を低くしている限り、神はわれわれを放置されない。

しかし、傲慢になると、われわれが暴走して、やりたいことを自由にできるように放置される。

その一番ひどいのが同性愛だ。

同性愛者については、「神は彼らを汚れた思いに引き渡されたので」とある。

この引き渡すという言葉は、「捨てる」という意味の言葉が使われている。

だから、ホモは、神に見捨てられているのである。

あまりにも傲慢になって、その傲慢を止めないと、神はわれわれを放置され、ホモにまで進ませられる。

暴走すると、自分が傷つく。

われわれは、自制心があるおかげで、車を運転していても事故を起こさない。

しかし、自制心がなくなると、いろんなところとぶつかり、死亡事故すら起こしかねない。

このようにわれわれがまともな意識を保ち続け、暴走しないためには、いつも「主にのみ依存する」意識を持ち続けることである。

「私は、神の抑制がなければ、恐ろしい罪を犯す人間だ」といつも考えて、主のあわれみを祈ること。


貧しさも富も私に与えず、ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。
私が食べ飽きて、あなたを否み、「主とはだれだ。」と言わないために。また、私が貧しくて、盗みをし、私の神の御名を汚すことのないために。(箴言30・8-9)

われわれが億万長者にならないのは、傲慢にならないため。

今回のオリンピックのサッカーの試合を見ていて、思ったのは、「突如としてトップには登れないのだなあ」ということ。

男女ともベスト4に入った。

しかし、その先に進み、頂点を極めるだけの内面はなかった。

やはり頂点を極めるには、経験や実力だけではなく、内面の充実が必要だ。

つまり、王者の心、貫録など。

小物が一挙に大きくなっていいことはない。傲慢になってやってはならないことをするから。

私からすると、中国や韓国は、自分の実力も顧みず日本を罵倒する「成り上がり」にしか見えない。

これらの国家には、一流の称号を与えられるだけの内面がない。

われわれが、一挙に繁栄しないのはいいことなのだ。

一挙に億万長者になったり、一挙にノーベル賞を取ったりしていいことなどない。

下積みの苦労を積んでそれなりの内面を獲得しなければ、われわれに力は与えられない。

神はイスラエルに対して「一挙にカナン人を追い出さない」と言われた。

なぜか。

「野獣が増えると害があるから」と。

だから、再臨のキリストが突然エルサレムに降り立ち、そこから全世界を支配するというような発展の仕方はしないのだ。

世界がキリストの御国に変わるには時間がかかる。

いろんな体験を積んで、苦難を通じて謙遜を学ぶことなしに、突如として支配権など与えられない。

今回、男女とも4位まではすんなりいった。

しかし、その後、女子の決定戦、男子のメキシコ戦と韓国戦では、どうも勝つ気がしなかった。

すべてにおいて神がブレーキをかけられたと感じた。

日本のサッカーチームは、一歩ずつ上がっていくのがいい。

失敗を繰り返しながらも、何年か後には、王者の貫録を持ったチャンピオンになるだろう。

 

 

2012年8月18日



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