聖書が教える政体において、選挙制度は2段階に分かれる。
それは、会社やすべての組織と同様に、管理職と一般職から成る。
会社の方針を決定し、運営を担う人々、つまり、社長や専務、常務などには、クリスチャンがなる。
ノンクリスチャンは一般職である。
クリスチャンは、国の運営を担うので、選挙権を有する。
聖書的な政治を行う政治家を選ぶ権利を有する。
ノンクリスチャンには選挙権はない。
なぜならば、神はイエス・キリストとクリスチャンを「王である祭司」つまり統治者として任命されたからである。
しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。(1ペテロ2・9)
このようなことを言うと、「神裁政治」であり、独裁体制になるのではないかと疑問に思うかもしれない。
神はレイピストではない。
神は人々が自ら選択しない限り、このような政体を押し付けられない。
たとえば、まだ少数しかいないクリスチャンが革命を起こして、今の体制を武力転覆させ、無理やりこのような政体をしくのは神の方法ではない。
このような政体が成立するのは、あくまでも国民の圧倒的大多数がそう望んでのことである。
神は、すでに永遠の昔に、国民の圧倒的大多数が回心して霊的に生まれ変わることを定めておられる。
聖霊による大リバイバルが起きることをあらかじめ用意されている。
大リバイバルが起きるならば、人々の心が神と和解するので、神の命令を喜んで聞くようになる。
だから、圧倒的大多数の国民が聖書的政体を望むように「必ず」なる。
これはすでに予定されているので、確実である。
悪魔がどんなに妨害しても、聖霊の圧倒的な力で、日本の大多数の国民がクリスチャンになる。
そして、現体制のもとで民主的方法により、そのような聖書的体制を選択するようになる。
今この話をしても、「気が狂ったか」としか思われないだろうが、それは、圧倒的大多数の国民がイルミナティによって悪魔の教育を施され、洗脳されているからである。
進化論や無神論によって頭が完全につくりかえられているので、聖書的体制が非常に望ましくないもののように見えるのである。
しかし、聖霊によって心が生まれ変わるならば、聖書どおりの体制を望むようになる。
神は一晩ですべての国民を回心させることもおできだが、われわれの「宣教の愚かさ」を通じてそれを行うことにされているので、そのような変化は徐々に起こる。
人々が、次第に「自分たちはイルミナティに騙されてきた」と悟るようになる。
すでにインターネットによってかなり変わってきた。
国民の10パーセントが変わると、全体の思潮が変わる。
社会の雰囲気が、聖書的キリスト教に好意的になる。
人々が聖書的政体を選択したならば、選挙権を制限しなければならない。
なぜならば、どの組織であっても、その組織自体を破壊するものを許さないからである。
会社が管理職制度を備えているのは、会社の存続と繁栄のためには、管理者が必要だからである。
組織の長をはじめとする理事会が組織の方針、人事など重要事項を決定することをしないと、まだ信頼できない(敵対的もしくは無能な)社員が経営を脅かす危険性がある。
教会でも、長老会がなく、教会員が直接に管理すると、サタンから送られてきた異端者によって組織が乗っ取られる恐れがある。
どうしても組織には、管理職が必要である。
そして、管理職の重要な責務は、人事権である。
誰を社長にするか、専務にするか、誰を長老にするか、牧師にするかによって組織は繁栄もすれば、衰退、場合によっては消滅もする。
そのため、組織の重要事項については、選挙権を制限しなければならない。
外国人参政権などは、日本国の自殺である。
侵略しようとたくらむ中国人や韓国人が選挙権を得るならば、地方だけではなく、中央の政治も乗っ取られる。
聖書的な政体において、選挙権は聖書信仰のクリスチャンに制限される。
ノンクリスチャンにまで選挙権を与えるならば、聖書的政体を破壊しようとする者が政治を左右する恐れがある。
だから、国民には二種類―つまり、管理権のある国民と一般の国民―が存在することになる。
「これは平等の原理に反するのではないか」との疑問が出るかもしれないが、あくまでも国民の命は、平等である。
区別は、あくまでも「職務上」である。
会社において管理職と一般職の間に本質的な差はないが、機能的な差が存在するのと同じように。
神は、われわれに「聖書的政体を維持すること」を命じておられるので、選挙権をクリスチャンに限定すべきである。