キリストは旧約聖書を成就した2
キリストが「律法や預言者」を成就したということはきわめて重大な事実である。
なぜならば、われわれが神の要求を満たす根拠が成立したから。
われわれは、神の要求を満たさねばならない。
すべて神の創造世界に生まれてきた者は、神のしもべであり、神の要求をつきつけられている。
「私は関係ないよ。神を信じていないから」といっても、ダメ。
神を信じようが信じまいが、神の被造物である以上、神の要求に答えなければならない。
だから、われわれは生まれながらにして、ものすごい課題と責任を背負っている。
この課題と責任において一点でも違反があると、永遠の刑罰である。
いや、もっと正確に言うと、アダムにおいて、われわれはすでに違反した。
神との契約の当事者であったアダム族の主アダムが神の前に責任を果たすことに失敗したため、われわれはアダム族を構成する一員として失敗者の一族に属している。
「そんな、ひどい。私が知らない大昔の責任をなぜ私が背負うの?」と考えるかもしれない。
もっともだ。
しかし、神が創造された世界において、アダムは全人類、全被造物を背負っていた。
神は、アダムが神の基準に達することを証明し、契約遵守を示すことを期待しておられた。
そして、もしそれが成功したならば、アダムと全人類と全被造物を永遠の栄光の状態に変えようとしておられた。
アダムは永遠の命を得られるはずだった。
そしてそのときに、われわれ子孫も同様に永遠の命を得られるはずだった。
われわれはアダムにあって運命共同体であった。
しかし、アダムが失敗したために、われわれも失敗者になってしまった。
神は人類を愛しておられるので、セカンドチャンスを与えてくださった。
それが、イエス・キリストを契約の代表者として立てて、試験に合格させ、永遠の命を獲得させることであった。
神の期待どおりに、イエス・キリストはすべての試験に合格され、永遠の命を得られた。
それが「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです」の意味である。
イエス・キリストが旧約聖書を成就してくださり、あらゆる契約の条件を満たしてくださったので、今やイエス・キリストは神から永遠の命を受け取る権利を得られた。
われわれが永遠の命を得る方法は、このイエス・キリストに信仰によってつながることである。
生まれながらにアダム族であり、失敗者の運命共同体に属しているわれわれが、キリスト族に入り、キリストの運命共同体に属することになれば、キリストと同じように永遠の命と永遠の資産を与えられる。
全被造物はわれわれのものである。
クリスチャンになるということは、アダムとの腐れ縁を切って、キリストと縁を結ぶことである。
世界の支配者とは、キリスト以外にはおられないのであるから、われわれも世界の支配者になった。
だから、われわれが祈ることによって、われわれは現実の政治も経済も動かすことができる。
われわれこそが、影の支配者である。
もしキリストが律法や預言者を成就せず、旧約聖書を完全に実現しなければ、われわれはただの人である。
他のアダム族の人々と同じように負け組である。
永遠の地獄に落ちて、永遠に苦しみ、地上で獲得したすべてを失い、無一文で暮さねばならない。
イエス・キリストの御業こそがわれわれの基礎であり、われわれの人生はキリスト族に属する限り勝ち組であり、支配者のそれである。
2012年10月29日
ホーム