イエズス会はナチスの生みの親であった2


イエズス会をキリスト教の伝道組織と見るならば、あなたは、歴史について理解が浅い。

ナポレオンは、イエズス会についてこう述べた。


「イエズス会は、宗教的組織ではなく、軍隊組織である。 イエズス会総長は、単なる修道院長ではなく、軍隊の将軍である。そして、この組織の目的は、権力の掌握である。それは、もっとも独裁的に行使される権力、絶対的権力、普遍的な権力、一人の男(*)の意志によって世界を支配する権力である。
イエズス会主義は、専制政治の中で最も絶対的な思想であり、同時に、乱用の中で最も偉大かつ大規模な乱用である...」

―ナポレオン・ボナパルト(1769-1821年)

(*)すなわち、イエズス会総督である黒教皇。
http://vaticannewworldorder.blogspot.jp/2012/06/napoleon-and-jesuit-led-new-world-order.html

イエズス会はナチスと深い関係にあった。

”[ナチス親衛隊総隊長ハインリヒ・]ヒムラーは、イエズス会に関する非常に大きくて優れた蔵書を保有し、何年もの間、多数の文献を調べていた。かくしてヒムラーは、イエズス会の原則に則りつつ、親衛隊を設立した。イグナチウス・デ・ロヨラの『霊操』は、その基礎として機能した。最高規則は、絶対服従であり、命令に対しては、それがいかなるものであれ、疑問を差し挟むことなくすべて実行することが求められていた。ヒムラー自身は、親衛隊の総隊長として、組織の総司令官であった。リーダーシップの構造は、カトリック教会の階層秩序からの借り物であった。ヒムラーは、[ローマカトリック教会の]ヴェストファーレンにある中世の城、いわゆるヴェヴェルスブルク城を接収し、修復を施したうえで、[すべての修道院が単なる軍の要塞であったのと同様に]「親衛隊の修道院」として利用した。組織の総司令官は、ここで年に一度、組織の最高指導者たちが出席する秘密の宗教会議を開いた。彼らは霊的な訓練会や集中修練会に参加した(イエズス会のすべての告白信徒たちが、リーダーの指導のもとに、年に一度、30日間実践していた集会と同様である。彼らは、そこで聖イグナチウス・ロヨラの『霊操』を学んだ。ほとんどの時間は、沈黙と「迷走」に費やされた)。集会用の大ホールでは、すべてのメンバーに、自分の名前が刻まれた銀色のプレートがついた専用の椅子が割り当てられていた。[バイエルン生まれの]ヒムラーはなぜ、このように神秘主義に傾倒していたのだろうか。その理由のひとつは、明らかに、カトリック教会に対する彼の態度―これは「愛憎」と呼ぶことができるかもしれない―にあるだろう。さらにもう一つの理由は、ヒムラーが、[イエズス会の臨時補佐]であった父親によって、厳密なカトリックの行動規範に基づいて躾けられた事実にあるだろう。ヒムラーは、この規範から[ロヨラの]ロマン主義に逃げ込んだのである。”

―ナチス将軍ウォルター・シェレンバーグ、The Labyrinth: Memoirs of Walter Schellenberg、1950年。

出典:Eric Jon Phelps – Vatican Assassins III (page 1037)

実質的に、ナチスを用意したのは、イエズス会である。

イエズス会は、第二次世界大戦を秘密裏に準備していた。ヒトラーの軍隊は、バチカンによって組織され、融資されていた。世界を征服し、それをローマ・カトリックに明け渡すためである。ヒトラーやムッソリーニ、フランコは、カトリックの信仰の擁護者としての義務を負っていた。彼らは、世界を征服し、教皇のために千年王国を建設するために立てられた器であった。その背後において、イエズス会はゲシュタポを支配していた。このすべてが、Chick Publicationsが出したTHE SECRET HISTORY OF THE JESUITSに完全に記載されている。

ヒトラーの死後、スペインの独裁者であるフランコの報道機関が出版した本を読みたまえ。そこにはこう書かれている。「カトリック教会の息子、アドルフ・ヒトラーは、キリスト教を擁護しつつ死んだ」 と。さらに「その遺骸の上には、自身の勝利の道徳的な彫像が立っている。神は、この殉教者の掌に勝利の月桂樹を握らせ給う。」と記されている。(Jack T. Chick, Smokescreens, Chick Publications)

先入観にとらわれず、まず事実を調べるべきである。

 

 

2017年11月4日



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