フルプレテリズムの問題点8
「宴会」が福音書において空中再開を示しているというのは、ルカ13:28〜29やマタイ25:1〜12を見れば分かります。人々が四方から集まって来て食卓に着いたり、婚礼の祝宴が行なわれたりするのは、正に「宴会」と呼ぶべきものです。
その宴会のことがイザヤ25:6で言われています。そして、その宴会が催される際に「万軍の主は・・・永久に死を滅ぼされる。」(イザヤ25:6、8)と書かれています。「山」についてですが、これをどのように解するにせよ、とにもかくにも紀元70年の「主の日」を念頭に置いて「山」と聖書で言われているのは明白でしょう。
「神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちが入っているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。
人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。」(ルカ13・28-29)
「そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。
そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。
愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。
賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。
花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。
ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ』と叫ぶ声がした。
娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。
ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』
しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』
そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。
そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください』と言った。
しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません』と言った。」(マタイ25・1-12)
以上の箇所は、必ずしも紀元70年の空中宴会を表したものではありません。
そもそも、紀元70年に空中で宴会が行われたと聖書はどこにも記していません。
ルカは、選びの民であるユダヤ人がその傲慢のゆえにはじかれ、かえって、招かれていなかった異邦人が救われるという逆説を説いたものであって、ある特定の時間と場所で行われる宴会について記された箇所ではありません。
マタイも、常にイエスが来られる用意を怠らないように、との戒めを記した箇所であって、紀元70年の特定的な事件を示す箇所ではありません。
それゆえ、これらを紀元70年に結びつけ、さらにイザヤ25:6〜とも結びつけることは釈義的に不可能です。
「宴会が催される際に「万軍の主は・・・永久に死を滅ぼされる。」」
紀元70年以前にも死は滅ぼされています。
「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」(ヨハネ11・25-26)
イエスの公生涯の時期に、すでに信仰者は死なないと言われています。
紀元70年が必ずしも「永久に死が滅ぼされた唯一の時期」とは断定できません。
それから、紀元70年が、天での宴会が開かれる唯一の時期とは断定できません。聖書には、天において宴会が行われるとは記されていますが、それが紀元70年に限定されると示す箇所は皆無です。
紀元70年以前に、キリストが昇天され、その際に黄泉にいたクリスチャンを伴ってパラダイスに上っていかれたので、その後、紀元70年までの間にたびたび宴会が開かれていたかもしれません。
それゆえ、イザヤ25・6-12が紀元70年にのみ適用できるとは必ずしも言えませんし、黙示録21章が紀元70年に成就したこともこの箇所から証明できません。
不信者や悪霊が永遠に地上におり、罪を犯し続ける世界が永続するなどという教えは聖書にはありません。
2018年4月25日
ホーム
robcorp@millnm.net