いたちごっこ
"それに対し、ビットコインのような中央銀行が介入できない本質的に「人による人のためになり得るお金」は、中央銀行の勝手な行為に歯止めをかけ、人々の自由と生活を守ることができるポテンシャルが沢山あります。それにより、経済危機や戦争によって人命が失われることを防ぐことにさえ繋がります。これは革命的なパラダイムシフトなんです。
一方、政府が発行するドルは「無から有を生む」かのごとく好き勝手刷ることができるし、価値を落とすこともできるし、その気になれば国民の銀行口座も差し押さえることもできるという「不正直なお金」と言っても決して言い過ぎではありません。ただ、国民は「政府が保証しているから」という錯覚でドルを信用してきたのです。でも、その信用が崩れ始める時が刻々と近づいている気がします。"
http://www.mag2.com/p/news/264240/2?l=bfo055b23d
もともと、お金は一種の商品である。
貴金属がお金として流通していた時代に、お金は「その貴金属の価値」以上のものではない。
したがって、代金を払う行為は、「貴金属を渡して商品を手に入れる」物々交換なのである。
政府が貴金属を持っていなければ、政府は商品や労働を手に入れることができず、それゆえわがままは通らない。
しかし、国が発行する紙幣は、独占された商品であり、それゆえ政府のわがままが通る。
たとえば、塩の専売が認められていた時代に、国民は塩を手に入れるために、その塩の価値以上のものを渡さねばならない。
国が塩の価格をつり上げて、国民はその不当に高い塩を手に入れなければならない。
これと同じように、独占的に発行された紙幣はその価値以上の値をつけることができるので、不当に国民から富を奪取できる。
これは、詐欺なのである。
貨幣が他の商品と同じように扱われる国では、国家権力の肥大化は起こらない。
需要と供給の原理によってお金の価値は変動するからである。
お金として通用する貴金属に混ぜものがされていれば、その価値は下がり、国は、必要な商品やサービスを受けることが難しくなる。
これが正常な経済の姿である。
経済を不健全にするのは、「専売」である。
紙幣は専売の商品の典型例であり、それによって、国民の権利は侵害される。
現在、たばこは専売であり、普通に栽培が許され、売買も許されるならば、こんなに高い金を払わずにすむ。
今の10分の1の価格になるかもしれない。
紙幣が乱発され、国民の利益があまりにも激しく侵害されるようになれば、代替貨幣が登場する。
ビットコインは、その一例である。
専売ではないため、ビットコインの価格は市場が決定する。
それが流通すれば、専売によるわがままが通用しなくなって、国の権限は著しく低下する。
戦争もできない。
フランクリン・ルーズベルトは金の独占を進めることによって、金による国民の私有財産保護の権利は侵害された。
こんどは、ビットコインが禁止されるかもしれない。
しかし、市場では、一部の人間が独占的な権限を行使することを許さないので、新たな逃避先が現れるだろう。
いたちごっこである。
2017年9月19日
ホーム
robcorp@millnm.net