聖書を裁く者が永遠の刑罰を受けないわけがない2


昔から、歴史学的、考古学的発見により、聖書契約と似ている文書や、聖書の洪水物語と似た物語が明らかにされると、「聖書が影響を受けた」と学者は考えてきた。

しかし、聖書が影響を受けたのか、それとも、世俗世界が、ユダヤ人の影響を受け、そのため聖書の影響を受けたのか明らかにすることはできない。

たとえば、古代エジプトで一神教や復活や三位一体を表す話がある。

学者はすぐに「聖書が影響された」と唱える。

なぜならば、「いかにも客観的に見える」から。

「聖書が影響を与えた」と言うと、宗教者に見られるから。

学者のプライドと見栄が重なって、できるだけ聖書を批判する側に回りたがるものである。

しかし、古代エジプトにはヨセフとヨセフの家族、つまり、ヤコブとその子供たちの影響があったはずである。

なぜならば、ヨセフは権力者だったから。

ヨセフがエジプトに一神教を持ち込んだと考えて何がおかしいのか。

そして、ヨセフがエジプトに復活や三位一体の話を持ち込んだと考えて何がおかしいのか。

ミトラ教なるものが聖書と似た教えを持っていたとしても、当時、ユダヤ人は、世界中を旅行し、各地に共同体を作り、貿易の駐在所を作っていたわけだから、彼らの影響が現地の人々にあり、それが地元のアニミズムと融合して別の宗教になったとしても何がおかしいのか。

古代のことは、可能性があるというだけで、正確にはわからない。

タイムマシンでもない限り、正確な知識は得られない。

学者が言っているのは、限られた断片的な情報から全体像を「推測」することだけだ。

だから、こんな推測だけで、すぐに「聖書が影響された」などと結論しないようにしよう。

いずれいろんなものが発見されて、聖書のほうがオリジナルであることがわかるだろう。

なぜならば、アブラハムやモーセは、神の預言者であり、神の教えの中心を担っていた存在だったのだから。

「聖書が影響された」という人は、アブラハムやモーセが神の言葉を担っており、直接神から啓示を受けていたことを否定する人々である。

それゆえ、彼らは冒涜者であり、刑罰を回避できない。

さらに、神の言葉に疑念を生じさせ、人々から信仰を奪おうとするサタンの回し者である可能性が高い。

注意しよう。

 

 

2012年8月9日





 

 ホーム

 



robcorp@millnm.net