商売しなさい


(1)


そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
それから人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。
そこで彼は、心の中でこう言いながら考えた。『どうしよう。作物をたくわえておく場所がない。』
そして言った。『こうしよう。あの倉を取りこわして、もっと大きいのを建て、穀物や財産はみなそこにしまっておこう。
そして、自分のたましいにこう言おう。「たましいよ。これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。」』
しかし神は彼に言われた。『愚か者。おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。そうしたら、おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』
自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです。」(ルカ12・15-21)

貯蓄は美徳であると同時に、害悪ともなる。

「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者」は「貪欲」である。

では、金持ちの行動のどこに問題があったのだろうか。

1.豊作であった。

これは問題ではない。

2.もっと大きい倉を建てて穀物や財産を蓄えようとした

これも問題ではない。

3.「これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ」と言った。

これが問題。

どうして?

「自分のためにたくわえても、神の前に富まな」かったから。

金持ちのたましいの所有者は、神である。

神はいつでも、「たましいは、今夜おまえから取り去られる」と宣言することがおできになる。

取り去られると、「用意した物は、いったいだれのものになるのか」?

他人のものになる。

つまり、神のために物事を行わずに自分のためだけに行動し、それによって裕福になっても、神から命を奪われたら何にもならない、と。

こういう人を「愚か者」という。

聞きなさい。「きょうか、あす、これこれの町に行き、そこに一年いて、商売をして、もうけよう」と言う人たち。
あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧にすぎません。
むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」
ところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶっています。そのような高ぶりは、すべて悪いことです。(ヤコブ4・13-17)

常に、われわれが行動する際に、「主のみこころなら、このことを、または、あのことをしよう」と言うべきだ。

商売人、ビジネスマンは、神を忘れて慢心すると、命を取られる。

マクドナルドの日本法人の社長だった藤田田氏の名前「田」は、クリスチャンである母から「口の中に十字架を入れる」という意味でつけられたそうだ。

慢心して傲慢なことを口にしないようにとの親心だろう。

しかし、残念ながら彼は暴言が多かった。

「日本人の食文化を変えてみせる」と豪語した。

新しい食文化のイノベーダーとして、ハンバーガーは、日本人の食生活に完全に定着した。「日本の若者を金髪にしよう。食を通じ世界に伍していける真の国際人を育成できれば」の願いは、昨今の若者著しい体位の向上を見れば、その仮説の正しさが実証されつつあると確信します。

日本の飲食業の問題点は醤油と味噌から抜け出せないこと。これから抜け出さないとダメだ。だから日本マクドナルドは、大豆系のものはいっさい使用していない。しかし、四十代にねらいをつければ、醤油、ミソからいつまでも抜け出せない。人口構成上の問題は大きい。現に、日本マクドナルドを始めるとき、多くの人が、醤油とミソを使わないと絶対に成功しないと私に言ったが、いまは「いかがですか。。。。」という気持ちだ。
http://zog-usa.tripod.com/WORD.html

世界の冠たる商人たちは、決して「ギブ・アンド・テイク」などとは言わない。彼らのモットーは「テイク・アンド・アスク・フォーモア」である。つまり取ったうえで、「さらにもっとよこせ」というのである。これなら儲かる。
http://systemincome.com/main/kakugen/tag/%E8%97%A4%E7%94%B0%E7%94%B0

私は、彼がユダヤ人によって見出され、訓練された、世界政府実現のための先兵だったと思う。

こういう人は、ユダヤ人の世界支配がとん挫すると同時にとん挫するのだ。

TVで彼が「商売は勝たなければだめだ」という姿を見て、傲慢な人だなあと思ったら、その後すぐ死んでしまった。

たかだか一生のうちに数千億のビジネスを作ったから成功し、神に祝福された生涯だったと考えてはならない。

これは、罠だ。

今の世界では、イルミナティ(ロスチャイルド)と手を結んで支援してもらえば成功する。

しかし、成功の代償は、地獄である。

「自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」

つまり、無一文になって、永遠の世界で乞食をすることになる。

(2)

それで、イエスはこう言われた。「ある身分の高い人が、遠い国に行った。王位を受けて帰るためであった。
彼は自分の十人のしもべを呼んで、十ミナを与え、彼らに言った。『私が帰るまで、これで商売しなさい。』
しかし、その国民たちは、彼を憎んでいたので、あとから使いをやり、『この人に、私たちの王にはなってもらいたくありません』と言った。
さて、彼が王位を受けて帰って来たとき、金を与えておいたしもべたちがどんな商売をしたかを知ろうと思い、彼らを呼び出すように言いつけた。
さて、最初の者が現われて言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』
主人は彼に言った。『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十の町を支配する者になりなさい。』
二番目の者が来て言った。『ご主人さま。あなたの一ミナで、五ミナをもうけました。』
主人はこの者にも言った。『あなたも五つの町を治めなさい。』
もうひとりが来て言った。『ご主人さま。さあ、ここにあなたの一ミナがございます。私はふろしきに包んでしまっておきました。
あなたは計算の細かい、きびしい方ですから、恐ろしゅうございました。あなたはお預けにならなかったものをも取り立て、お蒔きにならなかったものをも刈り取る方ですから。』
主人はそのしもべに言った。『悪いしもべだ。私はあなたのことばによって、あなたをさばこう。あなたは、私が預けなかったものを取り立て、蒔かなかったものを刈り取るきびしい人間だと知っていた、というのか。
だったら、なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。そうすれば私は帰って来たときに、それを利息といっしょに受け取れたはずだ。』
そして、そばに立っていた者たちに言った。『その一ミナを彼から取り上げて、十ミナ持っている人にやりなさい。』
すると彼らは、『ご主人さま。その人は十ミナも持っています』と言った。
彼は言った。『あなたがたに言うが、だれでも持っている者は、さらに与えられ、持たない者からは、持っている物までも取り上げられるのです。
ただ、私が王になるのを望まなかったこの敵どもは、みなここに連れて来て、私の目の前で殺してしまえ。』」 (ルカ19・12-28)

悪い僕は、「私が帰るまで、これで商売しなさい」と命令されたのに、何もしなかった。

与えられたものを利用せずに、それを包んでしまっておいた。

動機は、自分のことである。エゴイストである。神のことなどどうでもいいのである。

だったら、なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。そうすれば私は帰って来たときに、それを利息といっしょに受け取れたはずだ。

もし神のことを愛し、命令を守ろうとしていたならば、銀行に預けて利息を渡したであろう。

しかし、彼の願いは「罰を受けたくない」ということでしかないから、そんなことはおかまいなし。

動機が自分にあって、「神のために」というところにないから、神のために行う行動が一切無駄に思えるのだ。

こういう人は、逆に人生を無駄にしている。

なぜならば、評価するのは、神おひとりだから。

われわれは、自分の人生を評価するのは世間ではない。

神である。

だから、神に評価されることを念頭に行動すべきだ。

そうしたら、「ただしまっておく」ということはしないはずだ。

神への愛が欠如した貯蓄は、有害である。

それは、自分にとってだけではなく、社会にとっても。

銀行に金がたまると、銀行は借金が増える。利息を客に払わねばならないから。

そのため、投資先を探すのだが、デフレで供給が過剰な場合、借り手がいない。

資金は、政府の国債購入に向かう。国債だけでは、雇用が創出されることはない。

ただ政府の借金が増えるばかり。

あまりにも巨額になり、デフォルトすれば、国債の価格が暴落し、結局は銀行は損をする。

銀行が経営できないくらいのダメージを負えば、害は、貯蓄をした人々にまで及ぶ。

つまり、「商売をしなさい」という命令を無視した貯蓄は不道徳だということ。

ビジネスに結びつかない蓄財は有害である。

お金は市場に流し、人々の手を経由してはじめて価値を生み出す。

われわれが「悪いしもべ」であり続けるならば、ケインズの亡霊が出てきて、「だから政府が動くしかない」と言い出すだろう。

そうなれば、またもやバブルの悪循環に入る。

問題は、われわれが、イエスに「ミナ」を与えられて、この地上生涯の間に商売をするように命令されているという事実を知り、その命令に従うこと。

道徳が欠如し、「貪欲」になって「ため込む」だけになれば、自分自身も社会もおかしくなる。

 

 

2012年11月10日



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