持っているものまでも取り上げられてしまいます
持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っているものまでも取り上げられてしまいます。」(マルコ4・25)
これは、なぜ知恵のある人は非常に知恵があり、愚かな人は徹底して愚かであるかの理由である。
神は人々に平等にチャンスを与えられる。
学ぼうとする人には、知恵が与えられ、学ぶことを拒絶する人には、愚かさが与えられる。
何度も神がチャンスを与えられたのに拒絶すると、しまいには、「持っているものまでも取り上げられてしま」う。
福音に対して頑固に拒絶の反応を示す人は、ある一定限度まで神が忍耐されるが、一線を超えると、神がその人を頑固にされる。
だから、それまで受け入れていた霊的真理までも捨てるようになる。
「あの人はおかしくなった」と感じたことはないだろうか。
考えてはいけないことを考え、行ってはならないことを行うようになる。
いわゆる「殿、ご乱心」の状態に陥る。
知恵のある人は、いつも「神様、あなたの守りがなければ、私はどこに飛んでいくかわかりません。いつも知恵を与えてください」とへりくだる。
愚か者は、「神様とか、迷信だ」とつぶやく。
キリスト教の話を聞いても何を聞いても受け付けない。
そうなると、破局一直線である。
自分を滅ぼすまで頑固さが消えない。
いつも神の前に謙遜にしている人には、次々と知恵が与えられ、この両者の間の差は決定的になる。
麦はますます麦らしくなり、毒麦はますます毒麦らしくなる。
そして最後に裁きが行われる。
これが歴史の典型的なパターンである。
2017年5月8日
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