神の言葉を絶対的権威としなければすべて無駄になる
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世界の問題の核心は、常にエデンの園にある。
エデンの園において、人とサタンが対峙した。
サタンが勝った。
キリストが来るまで、セツ=ノア=アブラハム=イスラエル民族のラインを除き、世界はサタン化した。
サタンの国を一言で言うと「御言葉以外を最高権威とする世界」となる。
サタンは、エバに対して「神は本当にそういわれたのですか。違います。この実を食べても死にません。かえって賢くなります」と誘惑した。
サタンの国は、「神の御言葉よりも優れた言葉がある」という点に立脚している。
だから認識論はわれわれが持つべき究極の課題なのだ。
「人間は何を知ることができるのか」。
神の国の人間は、「神がそう言われたから、そうだ」と考える。
神の言葉が究極的権威なのであるから、神が言われたことを疑うことは絶対にできない。
神の国に入りたいならば、この点で失敗したらアウト。
全部ダメ。
どんなにマザーテレサが善行を行っても「聖書以上の権威がある」と考えた時点で、われわれにとって「滅びをもたらす異端」以外の何物でもなくなる。
異端とは、「失敗したエバ」である。
初代教会に対抗したヘレニズム=グノーシスは、聖書を究極的権威としない。
そして、このヘレニズム=グノーシスのもとをさかのぼれば、アトランティス文明に行きつく。
アトランティスが実在したかどうかは別として、ヘレニズム=グノーシスの流れに属する人々、たとえば、フリーメイソン・イルミナティの人々は、自らの起源をアトランティスに置いている。
アトランティスとは、洪水で滅んだ文明である。
だからノアのラインには入っていなかったということ。
セツ=ノア=アブラハム=ダビデ=キリストのライン以外は、サタンの国である。
サタンの国の住民は、初代教会においてグノーシスという形で神の国を攻撃し、中世にトマス・アキナスのスコラ神学という形で攻撃し、そして、近代に入ってルネサンス=啓蒙主義=インマヌエル・カントという形で攻撃している。
インマヌエル・カントにおいて体系化されたヒューマニズムは、サタンの国の教えであり、それが、われわれ聖書信仰のキリスト教を攻撃している。
だから、流れをたどればエデンの園における「エバ対サタン」の対決に行きつく。
この世界に流れる基本的な対立点は、「神の言葉が絶対か、人間理性が絶対か」にある。
ヴァン・ティル=グレッグ・バーンセン=再建主義において「神の言葉の絶対性」が確立されたにもかかわらず、オーバン・アヴェニュー神学やフルプレテリズムにおいて「人間理性の絶対性」の原理が侵入した。
こうやって、神の国は常にチャレンジされる。
今は巻き返しの時代である。すっかりサタンの国になってしまった世界を神の国が奪い返す時代である。
だから、神の言葉の絶対権威性という点でわずかでも妥協する者は、われわれの仲間ではない。
あなたがたのところに来る人で、この教えを持って来ない者は、家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません。(2ヨハネ10)
2014年4月23日
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