これ以上は、われわれの責任の範囲外である
なぜ今、これだけ攻撃が厳しいのか。
とにかく体力がない。
何かを始めるときに、思わぬところから妨害が入る。
ヨルダン川を渡ろうとしている今「渡るな!」と声がかかる。
これだけ旗色を鮮明にし、自分の立場を明確に述べている場合、周囲の人間には「言い逃れ」というのはできない。
人生が終わって、神の御前に立ったときに「なぜミレニアムを支援しなかった?」と尋ねられるだろう。
「正しいかどうかわからなかったからです。」は言い訳にならない。
物理的に情報入手が困難な人々、たとえば、日本語が読めない人々は、言い訳がつくだろう。
しかし、日本語が十分に理解でき、しかも、文章を読む時間が十分にある人の場合「正しいかどうかわからなかったから」というのは言い訳にならない。
こちらは聖書から論証してきた。
もしわからなかったというのであれば、質問すべきである。
納得のいくまで説明を聞くべきである。
それもせずに「傍観していました」というのは、すなわち、「神の国なんてどうでもいいと思っていました」と同義である。
つまり、クリスチャンとは名ばかりで、神の栄光、神の御国、神の義などはどうでもいいと考えていたのである。
「小難しいことはわからないけど、既存のキリスト教のグループの仲間に入って、毎週お勤め礼拝をしていればいい」という程度の考えである。
人生に対する不真面目さ。
神から与えられた貴重な人生を真剣に考えていない安易さ。
何を言っても無駄。
かえって牙をむいて襲いかかってくる。
これ以上は、われわれの責任の範囲外である。
神の御前に立って人生の報告書を提出しなければならないのは、本人だけである。
2018年1月19日
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