三神論は異端である15
御子は「創造されなかったが、生まれた」とニケア信条他に記されています。
これを「存在論的に子は父から誕生した」と解釈することはできません。
いくら神が時空を超越しているにしても、存在論的な誕生は「存在しなかったものが存在するようになった」という意味以外に捉えることは不可能です。
これは、「万物の根源で第一原因であると自らを啓示されたイエス」の否定です。
御父も御子も「存在しなかったという時がない第一原因」なのです。
しかし、御父と御子の間には「父子関係」が存在します。
存在論的な父子関係でなければ、契約的・法的父子関係と理解する以外にはありません。
「御子は法的に御父から生まれた」のです。
聖書は、夫婦を「一体」と述べています。
これを「存在論的に一体」と解釈すると、「夫と妻は二人ではない」ということになります。
また、キリストと教会を「一体」とも述べていますが、これを「存在論的に一体」と解釈すると、「教会も神である」ということになって、教会の神格化につながり、聖書に反します。
存在論的と契約的を区別することは非常に重要です。
夫婦は「契約的に一体」なのであり、教会は「契約的にキリストと一体」なのです。
この二つの概念を混同すると、明らかに聖書の否定につながり、このような誤謬を見過ごすことはできません。
正統派に留まるならば、この点を正しく理解すべきです。
2018年11月27日
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